2013年(2件)
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2013年1月(2件)
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01.09
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ブログを開設しました。
今後はそちらの方に日記を書いていきますので、お手数ですがアクセスしてみてください。
http://miyakayo.seesaa.net/
今後ともよろしくお願いします!
01.01
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新年明けましておめでとうございます。
今年も何卒、どうぞよろしくお願い致します。
4/24のCD発売、5/17の発売記念ライブ、その他あれこれとあります。
また改めてご案内させていただきます。
みなさんにとって素晴らしい1年でありますように。
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ブログを開設しました。
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2012年(68件)
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2012年12月(4件)
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12.27
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またまた莫言。『四十一炮』を読んだ。
「思想は?思想などお話にもならぬ。わたしは従来から思想無きをもって誇りとしてきた。わけても、小説を書く段になると。」と莫言が言っている。
そう言ってのけるだけのパワーに充ち溢れている。
グダグダと自分の頭の中やら心の中を書いている自家中毒のようなインテリ小説なんかとは く違う。
中国農民の現代の語り部のような存在、なのだそうだ。
ヨーロッパもアメリカも、そして日本もぶっ飛ばす。
正しいだの誤っているだの関係なく、中国の人たちの生き方をとにかく観てみる、という意味でも莫言の小説を読みたいと思う。
12.20
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デザイナー佐藤オオキの『脱力デザイン論』を読んだ。
この人がラジオ番組にゲスト出演しているのをたまたま聴いて、この人面白いな、と思って、最近出したこの本を読んでみた。
雑誌に掲載した文をまとめたもので、肩の凝らないゆるい本だ。クスっと笑ってしまう文章とカット。
そしてデザインした商品や店などの写真もいい。
文章自体はゆるーいけれど、30代半ばのこの人の考え方、物の見方には感心させられた。
まさに今現在、世界を股にかけて大車輪で活躍している人の生の声は説得力がある。
なんだか元気をもらえる本だ。
12.18
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莫言の『白檀の刑』を読んだ。
やっぱり面白い。
清朝末期の一地方を舞台にした話だが、そこに登場する処刑法の数々の凄まじいこと。その描写の見事なことと言ったらない。
話の運び方が上手くて、ぐんぐん引き込まれ、何度も胸が熱くなり、書き手のエネルギーに圧倒されてしまう。
莫言中毒患者になりそうだ。
ノーベル賞の受賞スピーチで自分の作品を翻訳してくれた何ヶ国もの翻訳家たちに感謝していたけれど、本当にこうして日本語で読んで感動できるのも翻訳者の力のお陰も多分にある。
謝々。
12.06
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ヒューマン・・・なぜヒトは人間になれたのか』(NHKスペシャル取材班)読んだ。
友人に薦められて読んだのだけれど、これは非常に興奮する本だ。
人類の歴史を心の変遷という切り口で捉えていて、今現在最先端の研究をしている科学者たちの証言を中心に書かれてい る。昔教科書で習ったような説とはずい分違っている。
この10年間の研究成果は物凄いらしい。
何千年、何万年というスパンで歴史を捉え、自分はどうして今ここにいるのかと考えると、視点がぐんと高くなり、視野が広がり、物の見方も変わってくる。
分かりやすく親切に書かれているので読みやすい。
これは是非読んでほしい本だ。
発見があり、勇気ももらえる。
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またまた莫言。『四十一炮』を読んだ。
2012年11月(6件)
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11.26
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莫言の『蛙鳴』を読んだ。
中国の「ひとりっこ政策」をテーマにした凄まじい物語だ。
本当にこの人の筆力は凄い。ぐいぐいと引き込んで行く。
それにしても、この人やこの人の親の世代が生きてきた時代だけをみても、この国の有為転変は大変なものだ。
そして文革や一人っ子政策について正面切って書くにはどれほどの覚悟が要っただろう。
その覚悟があったからこそ、これだけの胆力ある作品が生まれたのだろう。
とにかく莫言中毒になったようで、また他の作品を読んでみようと思う。
11.25
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新しいCDが来年4/24に発売されます!
そして発売記念ライブを5/17(金)南青山『MANDALA』で行います。
詳細は後日改めてさせていただきます。
面白いCDです、お楽しみに!来年は久々にライブ活動を復活します。
色々と乞ご期待!!
11.18
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今年ノーベル文学賞を受賞した中国の莫言の『転生夢現』を読んだ。
かつて地主だった男のロバ→牛→豚→犬→猿→人間という6度の転生を文化大革命を背景にして、その周りの複雑な人間模様を絡めて描いている、サーガ的作品。
発想といい、構成といい、文体といい(もっとも翻訳だから本当のところはわからないけれど)、もちろん内容といい、どれをとっても刺激的で、面白い。
比べてはいけないけれど、ガルシア・マルケスの『百年の孤独 』を読んだ時の興奮に匹敵する感動を覚えた。
『赤い高粱』 も傑作だけれど、『転生夢現』は更にパワーアップ、スケールアップした大傑作だ。
読みながら文章に圧倒されて、何度も胸が熱くなった。こういう作品を書くのだから、ノーベル賞をもらって当然だと深く納得する。
現代中国が生んだ中国ならではの作家ということに大きな意味がある。
11.11
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ロバート・カニーゲル著『無限の天才』を読んだ。
ひょんなことでインドの天才数学者ラマヌジャンのことを知って、この人に関する本を探していてこの本を見つけた。
インドのことをほとんど知らないし、ましてや数学といったら赤点しか取ったことがなくて、拒絶反応を起こすほどなのに、なにか惹かれるものがあって、ラマヌジャンに興味を持った。
文中には、もちろんいくつもの公式が出てきて、数学好きの人間には面白いだろうけれど、私はその箇所はすっ飛ばして読み進んだわけで、それでもこの本は面白い。色々な思いがよぎった。
色々なことを考えさせられた。
1冊の中に詰まったドラマにしばらく茫然とした。
一読をお薦めしたい。
11.05
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引き続きドン・ウィンズロウの『フランキー・マシーンの冬』を読んだ。
前作の、力作『犬の力』のようなスケールはない。
小ぶりで力の抜けた作品だ。
けれども、作者が肩の力を抜いて、楽しみながら書いたように思われて、そこがよかった。
やはり、ツボを押さえたよくできたエンターテイメント作品だ。
DVDで『ゴッド・ファーザー Part 2, 3』を観たばかりなので、マフィアつながりで面白く読めた。
11.01
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ドン・ウィンズロウの『犬の力』を読んだ。
『シブミ』を読んだ後、あれこれ調べていたらこの作品にぶつかって読んでみた。
ミステリー小説を読み始めるのは私にとってはあんまりいい兆候ではないのだけれど、成り行きだからしょうがない。
いやあ、面白かった。
上手いね、この人。
力のある読み物だ。ちょっと長いけれど、読み始めたら止められない。
もうひとつくらい読もうかな。
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莫言の『蛙鳴』を読んだ。
2012年10月(5件)
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10.26
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先日収録したFM番組の放送のご案内です。
10/29(月)21:00~ FMChappy 77.7MHz "What's Jazz" という番組です。
同時刻にパソコンでも聴けます。
http:// www.jcb asimul. com/#ar ea03 (「FMチャッピー」をクリックしてください。)
また、11/6~2013.1/7までストリーミング配信されます。
http:// www.sak asou.co .jp/rad io/list en/ (ページの一番下に表示されます。) お時間があったら聴いてみてください。
『OBIYABIYA』と『ポッペンを吹く女』について 色々しゃべってます。
11.26
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是非読むべし!」と知人が薦めるので、トレヴェニアンの『シブミ』を読んだ。
なるほど、これは面白かった。
いろんな要素のつまったエンターテイメント作品だ。
特に日本人と日本の文化に対しての理解力とシンパシーに驚く。
知識だけじゃこうは書けないだろう。何かよほどの体験があったに違いないとミーハー人間としては想像してしまう。
アメリカという国、アメリカ人に対する批判的な見方も、参考になった。
ミステリー小説、冒険小説というくくりに収まり切らない、味わい深く、読ませる作品だ。
10.21
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知り合いに強く薦められて、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』を読んだ。
12年前の直木賞受賞作品だ。日本の現代小説への関心は薄くて、さして期待もせずに読んでみた。
しかし読みながら、どことなく親しみを覚えた。
なんだか葛西善三や嘉村磯多といった私小説作家のものを読んでいるような気がしてきたのと、少しガルシア・マルケスを感じさせるようなところもあったからだと思う。
今の時代にこういうものを書いている人がいるのか、とびっくりもした。
なるほど強く薦めるだけのことはあると納得した。
同時に私がこういう作品を面白がるだろうと見抜いた知り合いの勘にも脱帽した次第。
10.19
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トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』を読んだ。
相変わらずあちこち引っ張り回されて、わけがわからなくなることが多々あったけれど、それでもやはり面白かった。
ある意味、アメリカという国を知るのには恰好の作品と言えそうだ。
ありとあらゆる視点から自分の国を観ているピンチョンの大きさを感じて、ますます好きになった。
10.07
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しばらく振りにトマス・ピンチョンを読んだ。
ピンチョン28歳の作品、『競売ナンバー49の叫び』。
なんてえ才能だろうね。読み始めたら、またまた頭の中を引っかき回された。
他の作品同様、アメリカとヨーロッパの歴史の流れを、独特の視点で捉えている。
色んな事を、それこそ百科事典のように知っていないと本当のところ、ピンチョンの作品を理解できないんだろうけれど、そんな理解しようなんてことはやめて、一緒にくっついて行くことだけに専心すると、それで充分に面白い。
なんでノーベル賞あげないのかわからないな。
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先日収録したFM番組の放送のご案内です。
2012年9月(6件)
09.30
- スイスの作家、パスカル・メルシェの『リスボンへの夜行列車 』を読んだ。
時間があって、ぶらりと立ち寄った本屋で、たまたま目に入って買った本だ。
面白そうだという予感があった。予感はピタリとあたった。
56歳の男の自分探しの旅、魂の探究といった、哲学的小説。
読みながら主人公や、登場人物に自分を重ね合わせて一緒に旅をしていく、その過程に興奮する。描かれているテーマは、国や宗教を超えて、共通していて、性別だって超えている。
あとがきによると、近々映画化されるという。
監督の名は書かれていなかったけれど、『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツや、ジェレミー・アイアンズというキャスティングはピッタリくる。
かなり期待できそうなので、公開されるのが待ち遠しい。
09.26
- 清元志寿太夫の『清元ひとすじ』と竹本住大夫の『文楽のこころを語る 』を読んだ。
CDの中でナンチャッテ清元をやっていることもあって、志寿大夫の本を 襟を正して読み、NHKの番組「人間国宝ふたり」を観て以来、ずっと心の支えになっているということで住大夫の 本を読んだ。
どちらも読んでいて、耳の痛くなるような言葉の連続だ。
両人とも自分の芸について率直に素直に語っている。
まずその姿勢にうたれた。
そしてそれぞれが後に続く後輩たちへ厳しくも愛情に充ちた言葉を送っている。
ジャンルは違っても、唄ということ、声ということでは参考になることがたくさんあった。
なにより芸の大先輩であって、その大先輩の言葉を聞かせていただけて、どんなに励みになり、勇気になったことか。
「人間国宝ふたり」とともに、この2冊は私の宝になった。
09.25
- 池波正太郎のエッセーを続けて読んだ。
『映画を見ると得をする』だ。
不勉強で、池波正太郎が映画通、いや映画狂だと初めて 知った。
映画の観方、映画を観る意味、映画とは、などについて愛情深く、時に辛辣に語っている。
納得することばかりで、映画の話に限らず、大人の生き方とはこういうことだと、教えられた。
澁澤龍彦、小林秀雄、岸田秀、高峰秀子など、一緒に酒でも飲みながら話が聞きたかった人たちのリストに、池波正太郎が加わった。
09.21
- 池波正太郎の『食卓の情景』を読んだ。
この人の時代小説は読んだことがないけれど、エッセーがいいというのを聞いて、読んでみた。
少年時代からの記憶に残る食べ物について書いているのだけれど、文が上手いのと、なんとも言えない味があって、夢中になって読んでしまった。
文に出てくる店は、今ではもうなくなってしまっているかもしれないけれど、読んでいると、すぐにでも出かけて行って、その料理を食べたくなってくる。
外食ばかりでなく、家での食事についても書かれているのだけれど、それがまた美味しそうで、涎が出てくる。
それにしてもよく食べ、よく飲む。
人生を楽しんでいる。
参考にしたいことがたくさんあって、読んで得をした気分だ。
- スイスの作家、パスカル・メルシェの『リスボンへの夜行列車 』を読んだ。
09.07
- クリストファー・マクドゥーガル著『Born To Run』を読んだ。
人間は走るために進化したのだという。
走ることは人間にとって自然なことで、それは何も速く走るということではなくて、長い距離を走ることを意味するのだという。
開発を重ねるランニングシューズはただただ足を痛める助けをしているだけで、むしろ裸足で走る方が足を痛めず、理にかなっているのだそうだ。
その生きる証人というべき、メキシコのタラウマラ族を追い求めて、実際に彼らと走る機会を得るまでを、数々のエピソードを交えて書いている。
気づかされることがたくさん述べられていて、なにより、自分も走れるような気がしてきて、是非とも走らなくては、と思わされる。
DNAは知っているという。
走る歓びっていうものを実感してみたくなった。
- クリストファー・マクドゥーガル著『Born To Run』を読んだ。
09.03
- 高峰秀子の『わたしの渡世日記』を読んだ。
この人が達筆だということは、聞いたことがあったけれど、所詮女優が書くものなんて、とバカにして読む気もしなかった。
それにずい分前にテレビで話すのを耳にした時の、その口調の乱暴さや、品のなさが気に入らなかった。
ちょっと前に観た成瀬巳喜男の『浮雲』『流れる』で印象がぐっと良くなったのと、『小津安二郎日記』の中にたびたび登場するので気になり始めたということで、ようやく読んでみようという気になった。
いや、恐れ入りました。
自分の人を見る目の無さを痛感した次第で、とにかく面白い。
そんじょそこらの文章家なんか、あっち行け、っていうくらいに上手い。
次々にページをめくらずにはいられない。
高峰秀子の半生記であると同時に、昭和という時代の証言記でもあり、映画史でもあり、中味は濃い。
なにより、彼女の観察眼、人物描写に驚かされる。
これはかなりのヒットだ。
超おススメ。
他の作品も読んでみたくなった。
- 高峰秀子の『わたしの渡世日記』を読んだ。
2012年8月(5件)
08.30
- このところDVDで小津安二郎作品を観まくった。
そして、都築政昭著『小津安二郎日記』を読んだ。
小津自身の言葉と小津の友人知人たちの言葉から、小津安二郎の人物像が浮かび上がってくる。
感じることがたくさんあった。
ただならないものがあった。
ちょっとばかり茫然。
08.18
- 岸田秀と山本七平の対談本『日本人と日本病について』を読んだ。
1980年の本だ。
非常に面白かった。
二人とも、太平洋戦争に拘っていて、それぞれアプローチの仕方が違うけれど、そこがまた面白い。
江戸幕府、明治維新、そして太平洋戦争、戦後の日本人に共通する点、異なる点を指摘し、ヨーロッパとの違いを挙げながら、結局日本人はこれからどうすべきなのかを考えようというわけだ。
私は考えるヒントをたくさんもらった。
自分についてしっかり見て、しっかり知るべきだと教えられた。
読んでみることをお薦めしたい。
08.15
- ふたたび松原久子を読んだ。
『言挙げせよ日本』という12年ほど前に書かれた本だ。
こういう風に日本のこともヨーロッパやアメリカのことも、歴史を明確に捉え、現実を直視している人がいるということを知っただけでも勇気になる。
書かれている内容は著者の『驕れる白人と闘うための日本近代史』と重なるところもあるけれど、また別の視点もあって、相当興味深い。
日本にいて、安穏としてボーっとして、大して頭も使わずになんとなく日々過ごしている身には、かなり刺激になり、叱咤激励されっ放しだった。
08.12
- 岸田秀の『幻想の未来』を読んだ。
岸田理論の根本思想である「唯幻論」について書いた本だ。
岸田理論に共感している者としては、ますます明確にしてもらって、生きて行くのも楽になりそうだ。
08.08
- 岸田秀の『「哀しみ」という感情』を読んだ。
その中で興味深いと取り上げられていた、松原久子の『驕れる白人と闘うための日本近代史 』を読んだ。
これは著者がドイツ国内に向けてドイツ語で出版したものを、別の日本人が日本語に翻訳して日本で出版したという面白い経歴を持つ本だ。
この本がドイツで出版された時はドイツ国内で相当な物議をかもしたらしい。
言ってみれば、「欧米人よ、日本のことを何にも知りもし ないくせに、日本を見下しやがって、日本をなめんなよ!」という心意気で書いた本だ。
胸のすくような思いがする。
と同時に、自分も近代の日本の歴史や欧米との関係について無知だったことを痛感させられる。
岸田秀やこの松原久子のような視点を持って、私も自分の関わっている音楽を改めて考えてみたいと思った。
- このところDVDで小津安二郎作品を観まくった。
2012年7月(4件)
07.26
- ここしばらくの間に数本立て続けに日本の映画をDVDで観た。
成瀬巳喜男監督の『浮雲』『流れる』、溝口健二監督の『祇園の姉妹 』『祇園囃子』、清水宏監督の『小原庄助さん』。
素晴らしいな。
特に成瀬監督の『浮雲』は、観終わった後、しばし放心状態に陥った。
どの監督作品も、とにかく映像が素晴らしい。
そして、女優達の演技の見事さに圧倒されっ放しになる。
凄い女優達がいたのだなあ。
07.18
- 岸田秀の『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』を読んだ。
とりあえずこの人の理論、そこから導かれる見方をそのまま肯定して、ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史、日本の歴史を見てみると、色々な疑問が解けてきて、すっきりとする。
そこから今の自分を捉えてみると、不思議と勇気が出てくる。
07.03
- 岡本太郎の書いた『今日の芸術』と『日本の伝統』を読んだ。
いつもそうだけれど、どうしてもっと早くに読まなかったのかと悔やまれる。
岡本太郎に対して関心がなかったからだけれど、こうして読んでみると、魂が激しく揺さぶられた。
アートの分野に限った話ではなく、生き方について問いただされ、自分を見つめなおさなくてはならなくなる。
手遅れなどと言ってはいられない。
07.01
- 伊丹十三と岸田秀の対談本『哺育器の中の大人』を読んで、こりゃあ岸田秀が書いた『ものぐさ精神分析』を読まなきゃ、ということで読んでみた。
衝撃的と言っていいくらい、面白い。
今から35年ほど前に書かれたものだけれど、当時友人がやたらと面白がっていたことを思い出した。
あのころに読んでおきたかったなあ。
いつも遅い。
岸田理論で考えると、自分の中のもやもやしていたものがはっきりと見えてくるから面白い。
お陰ですっきりした。
これはいい出会いだった。
- ここしばらくの間に数本立て続けに日本の映画をDVDで観た。
2012年6月(6件)
06.22
- 伊丹十三の『女たちよ!』を読んだ。
出版当時評判になったのを覚えている。
ただその時は興味が湧かず読まなかった。
読んだところでピンと来なかっただろう。
子供だったものね。
しかし面白いな。
風俗も流行も知識も40年以上昔と今じゃ随分違ってきているから、そのまま当てはまらない点はあっても、視点やセンスは今でも新鮮だ。
ニヤっと笑ったり、感心したりして読みながら、自分もこういう大人になりたかったなと悲しくもなる。
もちろん「男」目線の文章だけれど、私にはただただ気持ちのいいエッセーだった。
06.17
- 最近Eric Morecambe とEarny Wiseというイギリスのお笑いコンビにはまっている。
2人ともすでに亡くなって久しい。
ステージ出身で、やがてBBC、その後別のテレビ局での冠番組で、イギリス国内で大変な人気を博したという。
知人に教えられてYouTubeで観たらはまってしまった。
自分の音楽の関係上どうしてもアメリカ英語の発音に慣れてしまって、どうもイギリス英語の発音は耳になじまなかった。
それが特にEric Morecambeの方が北部出身で、その発音はイギリス人の間では下品と言われているらしいのだけれど、それがずっと聴いていると、子音が立っていて、リズム感が気持ちよくなってくる。
芸達者で、色々な下地を持っていることがわかる。
YouTubeにたくさんアップされているので、もし興味があったら一度ご覧ください。
私のお薦めは、アンドレ・プレヴィンがゲストで出演しているスケッチ(イギリスではコントのことをスケッチというらしい)http://www.youtube.com/watch?v=R7GeKLE0x3s
06.15
- 流れで、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読んだ。
何と言うか、とても気持ちのいいエッセーだった。
読みながら何度もニヤリと笑ってしまう。
態度というか、見方というか、価値観というか、そういうものがとても気持ちいい。
品がいい。
そこがいい。
今から50年近く前に書かれたエッセーだから、当時とは状況や情勢も変わっていて、今ではそのまま当てはまらないこともあるだろうけれど、それでも今読んでも、充分面白い。
この人の書いたものが評判になったころは、興味がなくて、この人の素晴らしさを知らずにいたことが残念だ。
いつも遅れてしまう。
そういう自分のダメさ加減を反省しながら、もう少し伊丹十三の書いたものを読んでみることにする。
06.10
- 伊丹十三の初監督作品『お葬式』をDVDで観て、その後すぐに伊丹十三が書いた『お葬式日記』を読んだ。
映画『お葬式』のクランクイン初日から映画が映画祭で初めて一般の観客に公開されるまでのほぼ3カ月間に渡る監督自身の日記だ。
DVDを観た直後に読んだから、映像の記憶が残っていて、一本の映画が出来るまでの、更には興業として成功するまでの並大抵ではないプロセスに驚いたり、感心したりのしっ放しだった。
何かを作るということでは一緒でも、映画作りというのはちょっとどころではなく、 く桁が違う。
黒澤明が自殺未遂をしたり、伊丹十三が自殺をしたり、ということが、いかに映画監督が背負うものが大きいのかを物語っているように思う。
比べるまでもないけれど、自分の能天気さに今更ながら呆れる。
お気楽すぎますよ、美山さん。
06.08
- 田草川 弘著『黒澤 明 VS.ハリウッドー「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて 』を読んだ。
いやあ面白かった。
これは力作だ。
ノンフィクション作品としてたくさんの賞を獲ったのも頷ける。
何故黒澤明が撮影の途中で監督を解任されたのか。
この映画で黒澤明は何を伝えたかったのか。
この2点を追って、著者は取材を進めていく。
読みながらその謎解きの過程にぐいぐい引き込まれてしまう。
さすがにジャーナリストで、取材も丹念だし、客観的だし、必要と思われる説明も丁寧だ。
極力客観的な態度を心がけているけれど、根っこにあるのが、黒澤明への尊敬と黒澤作品への熱い思いなのだということが痛いほど伝わってくる。
それにしても、黒澤明の挫折の過程を読んでいると、胸が痛くなる。
これは悲劇としか言えない。
日米の文化のギャップも痛感させられる。
黒澤明ファンにはもちろん、そうでない人にも是非お薦めしたい一冊だ。
06.04
- 志賀直哉の短編集を読んだ。
代表的短編作品の『城の崎にて』『小僧の神様』他16篇を読んだ。
何だろうな、やっぱり上手いんだな、文章が。
師である夏目漱石も「あんな風には書けない。」と言ったそうだ。
ぐだぐだしていない。
まだるっこくない。
もったいつけていな い。
もってまわったような言い方をしていない。
小難しい書き方をしていない。
なのに、明瞭だ。
「あんな風には書けない。」けれど、お手本にしたい文章だ。
けれど、もっと違うことが聞きたい、というのが感想だ。
私の人生に強い影響を及ぼすような何かは伝わってこなかった。
短編だからかね。
『暗夜行路』なら違うかね。
また読み返す気はちょっとしないな。
しょうがない、そういうことで。
- 伊丹十三の『女たちよ!』を読んだ。
2012年5月(4件)
05.30
- 谷崎潤一郎の『文章讀本』を読んだ。
小林秀雄が称賛していた本だ。
谷崎潤一郎が一般人に向けていい文章の書き方を書いて いる。
昭和9年に書かれているから、今では事情が違っていて、そのまま通用しないこともあるだろう。
それでも、本質的には変わっていないと思う。
日本語の短所と長所、それを日本人の気質から説明して他の国の言語にはない、日本語にしかない特徴を生かすべきだと強調している。
文章について多くのことを教えられたけれど、同時にそれが自分の音楽にも当てはまって、はっとさせられた。
この本の中でいい文章のお手本として取り上げられている志賀直哉の『城の崎にて』 を読むことにしよう。
高校生のころ、名文と言ったら志賀直哉 、と 読まされたけれど、何十年ぶりかで読んでみたら、新しい発見があるに違いない。
05.29
- 小林秀雄が33歳の時に書いた評論を集めた『私小説論』を読んだ。
やはり熱い。
ドストエフスキーのことになると特に熱い。
そして、小林秀雄の青春時代の重要人物、中原中也に対しても熱い。
覚悟の出来ている、肝の据わった、そして率直な文芸評論 は読んでいてスカっとする。
小林秀雄が称賛している作品で読みたくなったものがいくつかあった。
まずは谷崎かな。
05.24
- 江藤 淳の『小林秀雄』を読んだ。
批評家の江藤淳が書いた批評家小林秀雄論だ。
小林秀雄が存命中に書いたのだから、その覚悟というか、 意気込みは大変なものだっただろうと思う。
小林秀雄の書いたものを読むたびに胸が熱くなるけれど、その小林秀雄に迫ったこの本もまた、江藤淳の熱い語り口で、読みながら胸が熱くなった。
そしてまた、まだ読んでいない小林秀雄の書いたものを読んでみたくなった。
05.06
- 白洲正子の『お能/老木の花』と『白洲正子自伝』を読んだ。
いずれも物を観る眼の率直さと文章の上手さが印象に残る。
でも、何と言っても能に関する作品が面白い。
能と能役者の話には、示唆に富んだものが多くて、色々な意味で勉強になった。
『お能/老木の花』はお薦め。
- 谷崎潤一郎の『文章讀本』を読んだ。
2012年4月(7件)
04.24
- 白洲正子の『世阿弥』を読んだ。
世阿弥の書いた『花伝書』などをひも解きながら、世阿弥という天才の生涯に思いを馳せている。
世阿弥、そして能に対する強い思いがあるために、その後の能のあり方に対してとても厳しい眼を向けている。
それにしても、小林秀雄もそうだし、鶴見和子もそうだけれど、この人たちの思い入れは大変なものだ。
自分が惹かれた人物に対して、とことん愛情を注ぎ込み、情熱をもって書きすすめている。
その人物と一体化していると言ってもいいくらいだ。
逆に言えば、そうじゃない評論なんて読みたくもない。
04.22
- 新藤兼人監督が1975年に作った『ある映画監督の生涯』をDVDで観た。
生前の溝口健二を知る人たちへのインタビューからなるドキュメント映画だ。
佐藤忠男の本を読んだお陰で予備知識は多少あったけれど、やはり生の声で語られる証言には力がある。
溝口健二について語られているけれど、そこにはあの時代の映画作りに携わっていた人たちの気迫といったものが漲っている。
みんな凄いな。
そして何と言っても田中絹代のインタビューが圧巻だ。
彼女の口調と眼力の凄みに圧倒される。
溝口健二を知る意味でも貴重な映画だけれど、ドキュメンタリー映画そのものとしてもとても素晴らしい作品だ。
DVDには新藤兼人の短い解説文が付いていて、この文章がまたいいのだ。
白血病で入院している溝口のもとを訪ねた時のことを述懐しながらこの文は終わるのだけれど、最後の箇所を読んだら涙が出てきた。
「病院の外へ出て、ともかく、少し歩こうと思ったが、足がふるえて歩けない。
溝口健二が死ぬ!こんなことがあって いいのか、とわたしは茫然と佇んだ。」
04.20
- 映画研究家の佐藤忠男が書いた『溝口健二の世界』を読んだ。
溝口健二に興味が湧いて、溝口健二について知りたくなったからだ。
内容はもちろん溝口健二の作品分析や生い立ちが主だったところだけれど、その時代の日本の映画の動静や他の監督との比較もなされていて、興味深く読んだ。
溝口健二作品のいくつかしか観ていないし、表面的で、ただ印象としてしか捉えていないから、この本のお陰で随分勉強になった。
もう少し溝口健二について知りたくなったので、新藤兼人が撮った『ある映画監督の生涯』を観ることにする。
04.18
- DVDで溝口健二の『近松物語』を観た。
随分以前にTVで観て以来だ。
その時には感じなかったのだけれど、今回は何か違和感を覚えた。
なんだろう、何故なんだろうと考えた。
そうだ、長谷川一夫のせいだ。
長谷川一夫の容姿と演技がハマらないのだ。
ちょっと興ざめする。
ミスキャストだと思う。
やっぱり俳優の占めるパーセントは大きい。
04.13
- DVDで溝口健二の『山椒大夫』を観た。
『雨月物語』や『西鶴一代女』の妖ししい凄みに魅せられた身としては、題材に気乗りがせず、観ていなかった作品だ。
溝口監督、すみませんでした。
やはり貴方の作品は凄かったです。
この作品もそうだけれど、どこか懐かしいのだ。
どこかで見知っているような気がするのだ。
夢の中で知っているような場所がたくさん出てくるのだ。
だからまた観たくなるのだ。
あの森も、あの海岸も、あの湖も、また観たくなるのだ。
そして、やはり田中絹代。
凄い女優だなあ。
本当に惹きつけられてしまう。
そうだ、また『雨月・・』 『西鶴・・』を観よう。
04.11
- その後南方熊楠関係の本を2冊読み、そこから岩田準一という人を知り、そこから江戸川乱歩に至る。
そして、澁澤龍彦が称賛していたこともあり、江戸川乱歩の『孤島の鬼』を読んだ。
これがツボにはまった。
あっと言う間に読み終えた。
なるほどそこから名前をいただいたというだけあって、ポーの作品へのオマージュのような部分もあるけれど、日本の風土に根差した、日本人でなければ書けないような味わいがある。
他の乱歩の作品は く読んだことがない。
それでもこれ一作品だけで、乱歩の才気は充分うかがえる。
解説者が乱歩の最高傑作、いや世界の推理小説の最高傑作と言ってのけているが、私も同意したくなる。
大した数も読んでないくせにそんなこと言えないとはいうものの、読み終わった後の興奮状態でこの作品を超おススメしたい。
04.01
- 河出文庫から出ている中沢新一が編集解説している”南方熊楠コレクション”から、まずは『南方マンダラ』を読んだ。
この巻は熊楠が僧侶である土宜法竜に宛てた書簡集である。
まあよくも10歳も年長の僧侶に向かってこういう口がきけたもんだと呆れるくらいの文章だ。
馬鹿呼ばわりは当たり前、江戸ッ子でもないのに、べらんめぇ口調でまくしたてる。
しかし、そこで述べられている内容の鋭さ、深さはとんでもない。
胸のすくようなことばも数々出てくる。
今から120年近くも昔に、こんな日本人がいたのだ。
そしてその語る内容はずっと先を行っている。
ますます南方熊楠に惹きつけられ、もっと知りたくなる。
ということで次の巻を読むことにする。
- 白洲正子の『世阿弥』を読んだ。
2012年3月(6件)
03.25
- 本日誕生日。
冗談でもなんでもなく、いい加減にちゃんとしなくちゃいけない歳になった。
もっと前からそうだったはずではあるけれど、とにかく、ちゃんとしなくちゃいけない。
毎年自分の誕生日に両親の墓参りに行くことにしているのだけれど、今年はちょっと都合が悪く、後日行くことにする。
「お陰さまでこの歳まで生きて行きました。
この歳にして、相変わらずこのざまで、すいません。」と墓前で手を合わせて来る。
03.23
- 鶴見和子著『南方熊楠』を読んだ。
以前にも著者が熊楠のことを書いた本を読んだことがあるのだけれど、今回はもっと強く揺さぶられた。
著者がどれほど熊楠に共感しながら書いたのか、その強い思いが伝わってきて、読みながら眼頭が熱くなった。
本の解説を民俗学者の谷川健一が書いているのだけれど、熊楠の波長と鶴見和子の波長がぴったり合ったればこその見事な力作だという。
そのとおりだと思う。
またしばらく南方熊楠についての本を読んでみようと思う。
今熊楠について勉強するのも何か流れのようなものを感じる。
03.22
- 知り合いが教えてくれたのだけれど、今日のお昼、ラジオの文化放送の番組で私のCD"OBIYABIYA"の『旅のはじめ』がかかったらしい。
ゲストのジャズ評論家青木和富さんが私のことを取り上げてくれたようだ。
ありがたい。
私のような分けのわからないヘンテコリンな音楽をやっている人間のことを紹介していただけるっていうだけで、とても励みになり、またこのままやって行くことへの勇気にもなる。
嬉しいニュースだった。
03.14
- 友人推奨の『宇宙は本当にひとつなのか(最新宇宙論入門)村山斉著』を読んだ。
所謂科学書なのだけれど、科学に疎い私のような人間でもワクワクと興味を持って読めるように書かれている。
確かにワクワクしながら読んだ。
そうか、宇宙ってのはこうなっているのか。
そうか、地球ってのはこうなっているのか。
そうか、人間ってのはこうなっているのか。
宇宙がこうなっていなきゃ、人間は存在しなかったわけで、人間が存在しなきゃ、宇宙は観察されないわけだ。
結局いまだに宇宙の誕生については何もわかっていない。
宇宙の誕生後のプロセスも、宇宙の行く末も、何もわかっていない。そのことについてはこれからもずっと科学者たちの仕事にお任せするしかない。
自分にはどうしようもできない。
人間のこと。
そのことについては、少しは自分にも考えることができるってもんだ。
03.12
- ヘルマン・ブロッホの『夢遊の人々』を読んだ。
まったくこの人のことは知らなかった。
オーストリアの作家。
20世紀の長編小説の3大作家の一人なのだそうだ。
プルースト、ジョイス、そしてブロッホ。
脳が軋むような作品だった。苦しみながら読み終えて、しかも私の理解力では対応しきれなかった。
こんな人がいたんだ。これはただ事じゃない。
衝撃的な出来事といえる。
作品と一緒にこの人の講演文も載っていた。その内容の鋭さに又ショックを受けた。脳がまた軋んだ。
しばらくこのショック状態は続きそうな気がする。
そして多分、このショックは受けるべき時に受けるべく与えられたに違いないと感じている。
03.03
- 先日ヴィム・ヴェンダース監督の『ピナ 踊り続けるいのち』を観てきた。
ピナ・バウシュに会いたかったから、ヴィム・ヴェンダースがどんな風にピナを捉えたかを観たかったから、そして3D映画体験がしたかったから。
映像は美しかった。でもヴィム・ヴェンダースが自負するほど3Dにした効果は感じられなかった。普通の、つまり2Dで充分だったと思われる。
ピナ・バウシュ亡きあとのカンパニーのダンサーたちの思いは充分伝わってきた。
彼らがピナから得たもの。ピナに導かれながら自分を解放し、表現の方法を見つけたことへの感謝と歓びが伝わってきた。
だからピナを失った彼らはこれからいったいどうするんだろう、と勝手に心配してしまう。
ピナ本人を追いかけた映画だと思い込んでいたから、そういう意味では物足りなかった。
そして、どれほど映画の中で美しく迫力たっぷりに捉えたとしても、生の舞台のすごさにはかなわないのだ。
たった2回ではあるけれど、ピナ存命中のカンパニーの舞台を観ることができたのは、本当に幸運だった。
あんな衝撃、あれほどの感動、あれほどの興奮は今まで味わったことがない。
思い出すと今でも涙が出てくる。
意味ある出会いだったし、大切な宝の一つとなった。
ピナ、心からありがとう!
- 本日誕生日。
2012年2月(8件)
02.23
-
クンデラの『不滅』を読んだ。
やっぱり面白い。上手い。立派。
色々な考えや感想が浮かんでくる。
何よりもこの人が小説の力を信じていて、その可能性に賭けていて、今の自分にしか書けないことを、ヒステリックでなく、堅苦しくなく書いていることに、心惹かれる。
「現代」を書いている。「現代の人間」を書いている。
「現代」を「現代のヨーロッパ」を歴史の中でしっかり捉えている、そ の目線に惹かれる。
クンデラが尊敬しているブロッホの作品を読むことにする。
02.17
-
クンデラの『冗談』を読んだ。
非常に面白かった。
ナチスの占領下、共産党体制、「プラハの春」、すべてを祖国チェコで体験し、遂には祖国からフランスに移住した小説家クンデラ。
作曲法の勉強もしていたから、音楽の見方、捉え方も明確で、興味深い。
この作品は「プラハの春」以前のものだけれど、描かれているのは政治のことではない。
人間のことだ。それも生半可ではない。表面的ではない。
頭でっかちではない。
その態度が私は好きだ。
私がピカソやベーコンや、そして『ドン・キホーテ』や『失われ た時を求めて 』や、他にも色々、そういった作品、作家たちに惹かれるのは何故か、その理由がそこにある。
02.16
-
『ミステリアス ピカソ』のDVDを買った。
随分前に映画を観た。その時の驚きは忘れられない。
その中の絵はもう存在していないとなれば、DVDで観るしかないわけで、これは持っておくべきだと思った。
画家の制作過程を見る機会なんてあるもんじゃない。
ピカソがどんな風に作品を創っているのか、そのプロセスを垣間見て、少しだけ秘密が分かった気になる。
観ている目の前でみるみる作品が出来上がっていくのを目撃するのだ。ぞくぞくする。
画集を見るのとは一味違う感動がある。
02.14
-
フランシス・ベイコンがミシェル・アルシャンボーと対談した本を読んだ。
ベイコンの絵に衝撃を受けたので、この画家がどんなことを考えているのか知りたかった。
とても率直に語っている。
「絵のことを説明なんかできない」と言いながら、たくさん語っている。
もちろん何も知らずにただ絵から感じればいいのだけれど、そういうことか、とわかってくることがある。
ベイコンがピカソを好きだということや、『戦艦ポチョムキン』やルイス・ブニュエルの映画が好きだなんてことを知ると、また一層親近感を覚える。
ダリの絵やアンディ・ウォーホールの絵からは何も感じない、というのもすごく面白い。わかる気がする。
02.13
-
クンデラの『小説の精神』を読んだ。
対談と講演をまとめたものだ。
一貫して述べられているテーマは「小説の意味」「ヨーロッパ」そして「キッチュに対する弾劾」。
これだけ明快に率直に説明してもらうと納得できるというものだ。
ぼんくらな頭の中が整理された。
この本の中で重要な存在として挙げられた作家で く知らなかった名前があった。
読まないわけにはいかない。
クンデラの小説をいくつか読んだらトライしよう。
02.10
- クンデラの『出会い』を読んだ。
文学、音楽、絵画について書きつづったものだ。
クンデラの作品は『存在の耐えられない軽さ』しか読んでいないけれど、ずっと気になる作家だった。
この『出会い』を読んで、この人なら信頼できると思った。
この人の作品をいくつか読むことにした。
そして、この人がとても好きな画家として挙げたフランシス・ベーコンの画集を買った。
絵画には殆ど知識がなく、ベーコンの絵も初めて目にした。
激しく揺さぶられた。
ゴッホに感じた何か、ピカソに感じた何か。その何かをベーコンに感じた。
それは言葉にはできないけれど、私にとっては非常に重要また新しい出会いがあった。
02.07
-
ヘミングウェイの『武器よさらば』を読んだ。
戦争小説にも色々ある。
どういうスタンスで書かれているかで違ってくる。
ヘミングウェイが実際に体験したことをベースにしている部分は体験者ならではの描写になっている。
体的なトーンは重苦しくはない。メロドラマ風とも言える。
翻訳からしかわからないけれど、文体は簡潔だ。
メロドラマ風を装って、戦争の酷さを訴えている。
それでも私としては作品が小さいように感じられて、いささか物足りなかった。
02.03
-
このところすっかり読書のペースが落ちてしまった。
ようやくドストエフスキーの『未成年』を読んだ。
やはりドストエフスキーの作品は面白い。
これは一種の教養小説のような作品だけれど、とにかくこの作家の人間観察力、心理の鋭い捉え方にはいつもながら、圧倒される。
徹底的に逃さず観察し、嘘を見抜き、裏を読み、想像力を働かせ、あるべき姿を追求する。
こうして未完の大作『カラマーゾフの兄弟』へ繋がっていったことを思うと感動せずにはいられない。
よく観察しなくては。よく考えなくては。ボーっとしててはだめなのだ。
-
クンデラの『不滅』を読んだ。
2012年1月(7件)
01.27
-
知人に薦められて、松浦元男著『世界でいちばん小さな歯車を作った会社』 を読んだ。
文字通り世界で一番小さい歯車を作った会社の社長による経営の哲学と言ったものが書かれている。
と言って決して堅苦しい、難しい専門書ではない。
読んでいて、分野は違っていても参考になる点がたくさんあるし、胸がすくような痛快さもあり、元気をもらえる。
一読をおススメ。
どんなことからも学べる。
ただしそれを実際に活用しなければ何にもならない。
何にせよ、賢くなければ生き抜いてはいけないということだ。
01.21
-
DVDで『ナチス、偽りの楽園ーハリウッドに行かなかった天才』を観た。
マレーネ・ディートリッヒが主演した『嘆きの天使』に座長役で出ていたクルト・ゲロンの運命を描いたドキュメント映画だ。
ナチスによってテレージエンシュタットに収容され、最後はアウ シュビッツ行きとなったクルト・ゲロン。
仲間の多くがハリウッドに逃れた時に何故彼は行かなかったのか。事態を楽観視しすぎた。状況判断ができなかった。理由はいくつも考えられるけれど、結局ドイツに留まったことが彼の運命を決定してしまった。
国際社会の非難をかわすためにナチスによって計画的に作られた”偽の楽園”「テレージエンシュタット」の存在を初めて知った。
自分の生と映画監督としての執着からナチスに迎合したゲロンを批判はできない。もし自分がその立場になったとしたら、同じ態度をとったに違いない。
結局はナチスに騙された愚かで悲しい映画人。
ユダヤ人の悲劇をまた別の角度から見ることができる佳作だ。
01.17
-
先日NHKラジオから素晴らしい音楽が流れてきた。
担当者が「メンデルスゾーンの『無言歌集』から次は・・・」と題名を告げた。
そうか、メンデルスゾーンの曲か。
なんて美しいメロディなんだろう。シンプルで心に染みてくる。
それにしてもこんな簡単な曲をこんな風にうたうように弾くピアニストはタダもんじゃないなと思っていると、
「ワルター・ギーゼキングのピアノでお送りしました。」
ああ、やっぱり凄い人だった。
あんまり素晴らしかったので、すぐにCDを買った。
改めて聴いた。
うなってしまうくらい素晴らしい演奏だ。
自然と涙が溢れてくる。
有名な『春の歌』をこんな風に弾くのを初めて聴いた。音楽はいいなあ、と幸せな気持ちにさせられる。
刺激的で超絶的なテクニックの演奏には今も惹かれる。そ れは否定しない。
でも、歌うように、語るように、しみじみとじんわりと心にしのび込んでくるような演奏は、めったに聴かれないだけに、その歓びは格別だ。
宝物がまたひとつ増えた。
01.13
-
ドストエフスキーの『地下室の手記』を読んだ。
以前は『地下生活者の手記』というタイトルだった。
ドストエフスキー42歳の時の作品だ。
ここからその後の大作が次々に生まれていった。その兆しが読みとれる
。自分の底の底までを徹底的に見るという態度から浮かび上がってくるものは、今の時代でも、日本人でも、同じように言えるものなのだ。
どこまでも追い詰める。嘘は見破り、容赦しない。むき出しにしてしまい、言い逃れできないようにしてしまう。
まずぶち壊して、その先にある何かを必死で探し求めるという姿勢。
生易しい生き方じゃない。
01.07
-
昨年暮れの日経新聞夕刊文化欄に、去年の南青山『MANDALA 』でのライブについての短い評が載った。
然知らなくて、知人が教えてくれて初めてわかった。なので、ご報告が遅くなってしまった。
「今年の収穫」ということで、音楽評論家の青木和富氏が3つ挙げた中に入っていた。
Reviewのページに貼りつけたので、どうぞお読みください。
これを励みにまたがんばります!
01.06
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ドストエフスキーの『悪霊』を読んだ。
なるほどここからやがて『カラマーゾフの兄弟』に結実を見るわけだ。
小林秀雄によって読み方を勉強していなかったら、もっとわかりにくかったに違いない。それでも理解できないことはたくさんある。
表面的なことで言えば、ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』のあるシーンはここからとったのか、と推測できる箇所があって興味深かった。
難解ではあるけれど、強烈で魅力的というドストエフスキーらしい作品だ。
01.01
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新年明けましておめでとうございます。
去年1年間日記を読んでくださってありがとうございました。
今年もまたお付き合いいただけましたら幸せです。
去年は私にとってターニングポイントとなる年だったと思います。
音楽に限ってみても、新しい扉を開けることができた年でした。
今年はそこから続く道をずんずんと歩いていこうと思います。
応援よろしくお願いします!
今年が皆さんにとって良い一年でありますように。
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知人に薦められて、松浦元男著『世界でいちばん小さな歯車を作った会社』 を読んだ。
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2011年(98件)
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2011年12月(7件)
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12.31
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小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を読んだ。
今年最後の日に読み終えたというのも象徴的な感じだ。
自分の音楽に関することを除けば、今年の大きな収穫というか 出会いは、澁澤龍彦と小林秀雄だ。
澁澤龍彦により新しい世界を知り、脳みそがぐにゃぐにゃと柔ら かになり、小林秀雄により物の見方、感じ方を教えられ、まさしく 「考えるヒント」を与えられた。
これはおそらく私の人生の中でも特筆すべきことだ。
明日から始まる新しい年は、この2人から教えられた多くの作品 を読むことになるだろう。
そしてその作品たちに導かれながら、新たな出会いをしていくこ とになるだろう。
豊かで心躍る年になりますように。
12.25
-
DVDで『マリア・カラスの真実』を観 た。
2007年フランスで制作されたドキュメント映画だ。
私はマリア・カラスの歌が大好きだ。とは言うもののハマったの は最近だ。偶然YouTubeで観たのがきっかけだった。
このドキュメンタリーを観たことで、ますますマリア・カラスの歌に 共鳴する。
感じるものがとてもあるのだ。
こんなことは言っても意味のないことだけれど、例えばショパン がジョルジュ・サンドに会いさえしなければ、もっと長生きして、 もっと大傑作を遺したかもしれないのに、と言いたくなるように、 もしオナシスに会いさえしなければ、マリア・カラスの人生はも っと長く、もっと幸せだったかもしれない、と言いたくなる。
もしもっと長く生きていたら、あのジュリアードでのマスタークラ スレッスンのように、素晴らしいレッスンをしたに違いない。努力 家だったからこそ、いい先生になったに違いない。
悔しい思いと切ない思いが残る。
ご覧になっていなければ、絶対におススメ!!
12.16
-
小林秀雄のベルグソン論『感想』を読んだ。
これは雑誌に連載の途中で自らの限界を感じて未完に終わった もので、自分の死後もこれを絶対に出版してはならないと言い渡 した作品だ。
今こそ出すべき時代だ、という遺族や出版社の意思により出版 された。
そもそもベルグソンなんて知りもしなかった私にとっては、このお かげで、この哲学者の書いたものを読んでみようかという気にさ せてもらっただけでも意味がある。
なんて言いながらこの作品を読むのは大変だった。全然先に進ま ない。わけがわからないから途中で眠くなる。
途中で断念したのも頷けるように、小林秀雄が悪戦苦闘してい るような文章だ。
しかし出版禁止を言い渡したというところにも、小林秀雄の誠意と いったものを感じて、ますます尊敬の念を強くした。
12.15
-
METライブビューイングの『サティアグラハ』を観てきた。
先月11/19にN.Y.メトロポリタン歌劇場で上演されたものが上 映された。
この作品はガンジーの若い日を描いたフィリップ・グラスの書い たオペラだ。
すべてサンスクリット語でうたわれていて、字幕も殆ど使われな い。フィリップ・グラスの考えということだ。
歌詞の内容にとらわれずに、語感を体感してほしいということら しい。なるほどと思う。フィリップ・グラスらしい音楽にはドイツ語 やイタリア語や英語などのアクセントはふさわしくないだろう。
それにしたってインタビューでも言っていたけれど、まったくわけ のわからない言語でうたうのは大変だろう。何をたよりにしてい いか。記号のようなもので、感情移入もできないだろう。私がや っているようなデタラメ語とはわけが違う。
いわゆるミニマル音楽はどうも膚に合わないけれど、こういう 題材にはぴったりかもしれない。ワーグナーやヴェルディたちの オペラの真逆を行くような、静かでタイムのゆったりした、オペラ らしくない作品だ。
突っ込みを入れたくなるところはたくさんある。
例えば、主役のテノール歌手はどうがんばってもインド人には見 えないし、だいいちガンジーがそんなに体格がいいんじゃ違うだ ろう。またガンジーの精神を引き継いだということでキング牧師が 出てきて演説するのだけれど、キング牧師はもっとずんぐりして いただろう、その姿はまるでオバマだろう、などなど。
まあもっともオペラ歌手たちは体力勝負だし、舞台で魅せるのだ から体格については眼をつぶるべきだろう。
この作品は総合的に面白かった。特に舞台美術、小道具を含め 演出がよかった。充分に楽しめた。
実際の舞台を観なくてはオペラを存分に楽しむことにはならない のはわかっているけれど、METの公演観る機会はそうそうない のだから、こうして上映されるのは嬉しいことだ。
12.14
-
マルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』を観た。
これまた今頃ようやく、という感じ。
とにかく面白い。俳優が皆いい。
3時間以上もあるというのに、少しも長く感じない。
ごちゃごちゃ感がいい。妙な感じがいい。充分に満足 できる。
その前に観たイタリアのロッセリーニ監督の作品と同じく 1945年の作品で、制作に3年かけたというから戦時中に 作っていたということだ。
前者とはまったく好対照のような作品だ。描かれているの は19世紀半ばのパリなのだから当然といえば当然だけれ ど、俄然こちらが私の好み。
見どころはたくさんあるけれど、ラストシーンがいいな。
12.13
-
ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』と『戦火のかなた』
の2本を観た。
どちらの作品にも若き日のフェリーニが脚本・助監督として協力 している。
1945年、1946年の作品で、第二次世界大戦末期のイタリアの 民衆の現実を描いたものだ。
大戦直後という厳しい条件の中で作られたからこその生々しさと、 気概と、エネルギーが画面から溢れだしてくる。
冷徹で鋭いナイフの切っ先のような映画だ。 映画として好きかと言われれば、こういうリアリズムの手法は好 みではない。
けれど、作らずにはいられなかった監督たちのエネルギーは圧倒 的で、それだけでも観る価値は十分にある作品だ。
12.10
-
フェリーニの『青春群像』と『オーケストラ・リハーサル』の2本を
観た。
『青春群像』はフェリーニの初期の作品で、まだフェリーニ色は 色濃くないけれど、それでもフェリーニらしいところが既に表れ ている。何と言ってもカーニバルのシーンはやはりフェリーニ。
映画自体も佳作で、スタンリー・キューブリックが生涯のベスト 作品のひとつに挙げているというのもなるほどという気がする。
『オーケストラ・リハーサル』は前から観たかった作品だ。
こちらはとにかく笑える。ブラックユーモアだらけ。
よくまあこんな役者を見つけたもんだ、という顔だらけ。イタリ アならではかね。
有名な終盤のシーンにはやはり呆れた。
そして指揮者はどうみたってトスカニーニだろう。あの癇癪お こした声にも笑えた。
やっぱりフェリーニは面白い。
-
小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を読んだ。
2011年11月(8件)
-
11.27
-
ジェーム・サバルテ著『親友ピカソ』を読んだ。
小林秀雄が面白かったと書いていたので読んでみた。
文章自体は面白くない。おそらく翻訳文が下手なのだと想像 する。
それでもピカソの少年時代から長い間にわたって傍で見てきた 著者の目を通して、ピカソの言動や生活態度や習癖やらが書か れていて、興味深かった。
ゴッホとは違ってピカソには文学的な才能はなかったと思う。 それは少しも問題にはならない。絵ですべてを表現する才能が あったのだから。
ショパンの手紙を読んだ時にも思ったけれど、天才の傍には 殆ど執事か召使いか使いっ走りかというような友人がいて、 献身的に尽くすようになってるのかねえ。
ゴッホの場合は弟だったけれど。
お陰でその後失踪したり気が狂ったりしてるけれど、このサバ ルテという人はどうだったんだろうか。
11.25
-
堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』を読んだ。
今頃?という感じかもしれない。
小林秀雄が大絶賛していたので読んだ。
「今年(昭和37年)の文学界の一大事件」とまで言っている。 その年の菊池寛賞を受賞した。
なるほど、これは本当に面白かった。感動した。
何がと言って、その文章力だ。決して上手い文ではない。文学的 な、あるいは知的な表現ではない。
とにかく自分の言葉で書いている。ダイレクトだ。格好なんてつけ てない。少しも英雄ぶった書き方ではない。すがすがしいくらいだ。
途中何度も泣きそうになった。
自分が太平洋をたった一人でヨットで横断している気になって最後 まで一気に読んだ。
これは凄いことだ。
もちろんその行動力や計画性や判断力や、そういう横断にまつわ る実際的な内容にも感動した。
それがあっての話ではあるけれど、とにかくこの文章の力には驚く。
もしまだ読んだことがない方には、超超おススメ!
11.24
-
小学生や中学生のお子さんをお持ちの方ならご存知かも知れ
ない。
大人気の『パスワード』シリーズの作者、松原秀行さんは、私 の昔ながらの友人、先輩、飲み仲間で、私のCD『ポッペンを吹 く女』のライナーノーツの執筆者でもある。
その松原さんの最新作『パスワードまぼろしの水』に、なんと 私がモデルになった人物が登場する。
私のグループ名が"KAYOKO LOVE"。 その名前がキーワー ドになってくる。
興味を持たれた方は是非ご一読を。
シリーズ累計360万部というベストセラー作品に登場できたな んて、ラッキー!
11.23
-
昨日の南青山『MANDALA』ライブは盛況のうちに無事
終了致しました。
お越し下さった皆さんに心から感謝致します。
温かい声援と拍手に勇気をもらいながら、思う存分や らせていただきました。
次回のライブは未定ですが、また皆さんをびっくりさせ るようなステージ作りを目指して、切磋琢磨してまいり ます。
これからも応援よろしくお願いします!
11.21
-
小林秀雄漬けである。
中央公論文庫の小林秀雄『人生について』を読んだ。
『考えるヒント』に収録されているものとダブる文章がいくつか あって、要するに同系列の本だ。
その中でセザンヌに関する文章があって、これがとても興味 深かった。
そもそも絵画にほとんど親しんで来なかったので、観る眼が 育っていない。
セザンヌの静物画をどんな風に観ていたか、その記憶だって 曖昧だ。
小林秀雄のおかげでゴッホへの関心が芽生えたように、セザ ンヌだけでなく、もっと絵画を観なくてはダメだな。随分遅いけ れど、何もしないよりはいいだろう。
他にも小林秀雄の書いたもので読みたいのがあるのだけれど、 ここでちょっと一息入れることにして、小林秀雄が称賛していて 気になった本があったので、そちらを読んでみることにする。
11.20
-
小林秀雄の『考えるヒント』1,2,3を読んだ。
読みながら胸が躍り、胸が熱くなり、胸の奥底から歓びが湧きあ がってきた。
勇気をもらい、お尻を叩かれ、そして反省の連続。 どれだけ考えずに生きてきたか。
考えたつもりの浅知恵だったか。
色々な情報や薄っぺらな知識に毒されてしまっているか。 もっと早く。あと30年早く。いや、せめてあと10年早く読んでおき たかった。
今更言っても遅い。
とにかく今からでも、少しはましな人間になるように心して生きて いこう。
11.10
-
友人から、こういう映画は観ておかなくてはいけない、と言われ、
『嘆きの天使』を観た。
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、マレーネ・ディートリッヒ主演の 1930年のドイツ映画だ。
やはりなんといってもディートリッヒがいい。凄い女優だ。かっこいい。
そして彼女に人生をめちゃくちゃにされる相手役のエミール・ヤニン グスの演技が圧巻だ。観ていて胸が痛くなる。
「すべて女のせいだ。」
という台詞がある。
地位も名誉もすべて棒に振るような人生の元凶は女だということら しい。
でも、「すべて男のせいだ。」と言いたい女もいるってこと。
ともあれ、これは是非ご覧いただきたい作品。
11.08
-
新潮文庫の『人間の建設』を読んだ。
小林秀雄と数学者の岡潔の対談本だ。
1965年に雑誌『新潮』に掲載されたものだ。
今から46年前、2人の天才が語り合った。
46年前に2人が話したことが全く古めかしくなく、むしろ今こそ 耳を傾けるべき事ばかりで、そこには今度の震災や原発事故 を予言しているような発言さえ見える。
宝物のような、バイブルのような、そんな言葉がぎっしり詰まっ ていて、何度でも手にとって読み返したい。
自分の浅はかさや愚かさに改めて気付かされた。
知ったかぶりをしたり、わかったつもりになることはやめよう。
知らないということを正直に認めよう。
少なくとも、二人の対談を読んで、それだけは心に決めた。
-
ジェーム・サバルテ著『親友ピカソ』を読んだ。
2011年10月(8件)
-
10.29
-
小林秀雄の『ゴッホの手紙』を読んだ。
コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』にゴッホのことがとりあげ られていて、ゴッホのことをもう少し知りたいと思ったからだ。
高校生の時に授業で読むべき本として指定されて読んだ記憶 はある。
言葉通り「読んだ記憶」があるだけで、読んだ内容はまるで記憶 していない。
ぼーっとして過ごしていた高校生の自分にとって、ゴッホが弟に 出した膨大な手紙の内容はピンと来なかったのだろう。
しかし、あれから何十年も経ち、こういう仕事に関わっている今 の自分が読むと、反応はまるで違ったものになる。
ゴッホの絵画制作に対する姿勢と、対象を観る眼、狂気に至る までの心と脳の中、そしてその手紙を読む弟のこと、そんなあれ やこれやが、切実なものとしてこちらに差し迫ってくる。
そして、そんなゴッホにありったけの愛情を注ぎこんだような小林 秀雄の文章にぐいぐい引き込まれ、自分もそこに巻き込まれてし まったような錯覚に陥った。
こういう人の書いたものならもう少し読んでみよう、と思う。
そして改めてゴッホの作品も見直してみようかと思う。
10.28
-
鈴木晶という人の書いた『ニジンスキー 神の道化』を読んだ。
コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』にニジンスキーのことが 取り上げられていたので興味が湧いたからだ。
バレーファンではないので、ニジンスキーのことはほとんど知ら なかった。
ストラヴィンスキーの例の『春の祭典』の振り付けをした人とし て知っていたくらいのものだ。
彼が伝説の天才バレーダンサーということも知らなかった。
彼がプロとして舞台で踊ったのはわずか8年間で、その後、 彼が精神分裂症に陥ったなどということは全く知らなかった。
ニジンスキーが踊っている映像は残っていない。写真だけが 残っている。その写真からだけでも何かただならぬ才気が感じ られて、本当に踊っている映像が観られたらなあと残念でなら ない。
ニジンスキーはわずか3作の振り付けしか遺していない。
その最後の振り付け作品『牧神の午後』をヌレーエフが踊って いる映像をYouTubeで見つけた。当時としては革新的な振り付 けだったと思う。これを観ると尚更、ニジンスキー本人がこの作 品を踊っているのが観られないのは、残念を通り越して損失と 言ってもかまわない。
10.27
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コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読んだ。
随分昔に評判になった本だ。
はみ出し人間の自己実現について考察した本だけれど、 そこに登場するのは、中途半端な人間など眼中になく、 たとえばニーチェであり、たとえばゴッホであり、はたまた 『荒野の狼』『カラマーゾフの兄弟』 といった文学作品の登 場人物で、その追求するエネルギーに圧倒される。
コリン・ウィルソン25歳の時の本だけれど、25歳にして、こ れだけのことを考察する知力は物凄い。
取り上げられた作品は私も読んだことのあるものがたくさ んあったけれど、「へえ、こんなことを書いた作品だったん だあ。」とボンクラ頭の私はびっくりする。
同じ作品を読んでも、鋭い人間とぼんやりした人間では得る ものはまるで違う。 コリン・ウィルソンはこの作品を大英博物館に通いつめて書 き上げたそうだ。
時は違うけれど、その大英博物館に南方熊楠も通いつめて いたのだなと思うと、感慨深いものがある。
10.17
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ジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』を読んだ。
これも澁澤龍彦が翻訳しているということと、三島由紀夫が 好きだったらしいということで読んでみた。
名前も聞いたことのなかったフランスの作家だった。
若いころ泥棒を繰り返し何度も投獄され、同性愛者だという ことが大きな影響を及ぼしている内容だ。
そこから何かを引き出すとか、解決があるとか、そういった ことのいっさいない作品だ。
嘘のない、飾りのない作品だ。
しかし、正直私には気分のいい小説ではなかった。生理的 なものかもしれない。
とにかく世界にはこういう作家がいて、こういう作品を書いた ということを知ることにも意義がある。
10.14
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『怪奇小説傑作集 フランス編』を読んだ。
澁澤龍彦が翻訳をしているということで読んでみた。
マルキ・ド・サドやアポリネール、モーパッサンをはじめ、21名 の作家による短篇を集めたものだ。
怪奇小説というか幻想小説というか、ジャンルはともかく、ど れも面白い。
いわゆるフランスのエスプリといったものが散りばめられている。
以前この同じシリーズの英米編を読んで、それもとても面白い と思った。
作品自体の力もさることながら、どうも翻訳者自身が楽しんで 翻訳しているように感じられる。
決して眠れなくなるようなことはないので、一読をおススメする。
10.09
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ルイス・ブニュエルの『黄金時代』を観た。
脚本は『アンダルシアの犬』と同じくダリとの共作。
シュールリアリズム映画だの前衛映画だの言われている。
そんなことはどうでもいい。映画の意味することなんか考え なくていい。
「意味のあるシーンは全部排除する」というのがブニュエル とダリの考えだというのだから。
脳みそを掻き乱される映像を観ること、そのことに意味がある。
能天気に生きている人間にショックを与える、そういう映画。
その後のブニュエルの映画のエッセンスが全部つまっている。
10.07
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ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』と『エロティシズム』を読んだ。
澁澤龍彦を読んで初めて知った名前で、三島由紀夫が影響を 受けたということで興味を覚えて読んでみた。
『眼球譚』は小説で、『エロティシズム』は一種の哲学書。
なんともエグい小説で、こういう作品を書くことで読む人間に 人間性とは何なのかを考えさせるきっかけを作り、そして、 『エロティシズム』で根気よく、筋道だてて論じている。
はっきり言って、ちんぷんかんぷんな所がたくさんある。
それでもとにかく読みぬくことにも意味があり、お陰であれこ れと考えさせてもらった。
特にマルキ・ド・サドに対する洞察には刺激を受けたし、心に 訴えてくるものがあった。
全体を通して、ジョルジュ・バタイユという思想家の誠実で、 真摯で率直な姿勢が新鮮だった。
言葉の限界、哲学の限界を認め、同時に切なる希望を抱い ていることが伝わってきて、この人を信頼しようという気にさ せられた。
10.01
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『澁澤龍彦 偏愛的作家論』を読んだ。
澁澤龍彦が好きな日本の作家24人についてのオマージュ的 な評論を集めたものだ。
私の知らない作家もたくさんいたけれど、澁澤龍彦が好きな 作家が私の好みと同じだということが嬉しかった。
石川淳、三島由紀夫、谷崎潤一郎、岡かの子、南方熊楠。
特に親交があった三島由紀夫に関するものが多く、中でも 『豊饒の海』についての評論には胸をうたれた。
三島由紀夫に限らず、どの作家についても深い洞察がな されている。
三島由紀夫にしろ谷崎潤一郎にしろ誰にしろ、ただ漠然と 好きだったわけで、何故自分が惹かれたのかはっきりと説 明できなかったところを、澁澤龍彦の書いた文を読んで、 「そうだ、そういうことなのだ。」と納得させられた。
それにしても、自分がいかに上っ面しか読みとっていないか、 ただただ読み倒しているだけで、根底にあるものに行き着い ていないか、いやというほど思い知らされた。
今まで読んでこなかったのだから、こんな歳になってやっと 読むようになったんだから、とにかく興味の湧いたものをどん どん読むことにもそれなりに意義はある、と思うことで、自分へ の慰めとする。
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小林秀雄の『ゴッホの手紙』を読んだ。
2011年9月(12件)
09.29
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フリッツ・ラング監督の『M』を観た。
サスペンス・スリラー映画の古典的名作だというので、前から 気になっていた。
上手く出来ている映画だけれど、全体的なトーンとしてはあま り私の趣味ではなかった。
しかし、主役のペーター・ローレの演技はいい。
こういう個性的で濃い俳優の演技は、観ているとワクワクする。
やっぱり毒があるってのがいい。
09.28
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澁澤龍彦が称賛していたフェリーニの『カサノバ』を観た。
まあなんてえ映画だろ。
フェリーニが徹底的にカサノバをおちょくっている。
やりたい放題という感じ。
決して傑作とは言えない。けれど、これだけ徹底的にやって くれたら、「はい、恐れ入りました。」と言わざるを得ない。
中途半端が一番いけない。
徹底的な狂気と毒。
退屈でつまらないと感じる作品に欠けているのはそれだ。
09.26
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『澁澤龍彦 西欧文芸批評集成』を読んだ。
色々な雑誌や本に書いた文をまとめたものだ。
澁澤龍彦ならではの選択と解析と批評が面白いし、その 取り上げた作家や作品への愛情がひしひしと伝わってくる。
これまで知らなかった世界へ誘われて、新たな楽しみを見 つけたようだ。
この人を知らなければ、きっと一生知らずにいたと思うと、 どういう流れだか、澁澤龍彦という人に行き着いたのは幸運 だとしか言えない。
この本の中で紹介されている作家の作品を、是非とも読んで みよう。
09.23
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澁澤龍彦『映画論集成』を読んだ。
面白かった。
澁澤龍彦の好きな映画監督の多くが私の好きな映画監督 だったことに、嬉しくなった。
ルイス・ブニュエルしかり、ルキーノ・ヴィスコンティしかり、 フェデリコ・フェリーニしかり。
もちろん、私のまったく知らない監督や、映画作品もたくさ んあったけれど、自分が観て気に入った作品について、自 分では何故好きで、どこがよかったのか、ぼんくらなので、 よく把握できていないところを、明瞭に解析してくれていて、 今頃になって納得した次第。
趣味、好みが似ているというのは、その人を信頼したくな る大きな要素だ。
まだ私の観ていない作品で彼が称賛しているものを是非と も観たいと思う。
同時にもし澁澤龍彦が今生きていたら、彼の鑑賞に堪える 作品がどれだけあるだろうか、そして私の気に入った作品 についてはどう評価するだろうか、そんなことを考える。
知り合いになりたかったな。一緒に飲んで話しを聴いてみ たかったな。
09.22
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澁澤龍彦の『異端の肖像』を読んだ。
澁澤龍彦が考える異端者の中から7人をとりあげて、それ ぞれの異端ぶりを解析している。
取り上げられているうちの何人かが最近読んだり観たりし た人物だったので、非常に興味深かった。
例えばルートヴィヒ2世であり、『失われた時を求めて』の 主要人物のモデルとなった人である。
とりあげた7人に共通する何かがあり、その人物たちをと りあげた澁澤龍彦の感性、知性が面白い。
私にとって澁澤龍彦という人は、ユイスマンスの『さかし ま』 を翻訳したということで、とても気になる人であったし、 三島由紀夫、森茉莉といった作家たちからのつながりで、 頭のどこかにいつも居た人だ。
ということで、あといくつかこの人のエッセーを読んでみよ うと思う。
09.21
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トマス・ハーディの『日陰者ジュード』を読んだ。
なんともやり切れない、気分の暗くなる小説だ。
同時に、イライラして、ムカムカしてもくる小説だ。
読む人間にこういう思いをさせる小説を書けるということ は、たいしたものだ。
1890年代のイギリスの貧乏な普通の人々の考え方と、 新しい考え方のぶつかり合いを垣間見た。
このところ同時代の上流社交界に生きる人々に付き合っ ていたので、突然底辺の人々の生活にぶつかって、気が 滅入った。
力のある小説の影響は大きい。
09.18
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ルキーノ・ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』を観た。
復元完全版デジタル・ニューマスターというわけで、ほぼ4時間 に及ぶ大作だ
。 19世紀のヨーロッパに興味が湧いたことと、『失われた時を求めて』 の中でもちょっと触れていたルートヴィヒ2世の半生でもあったので、 観ようと思ったのだ。
ヴイスコンティの作品としても、「ドイツ3部作」(『地獄に堕ちた勇者 ども 』『ベニスに死す』)の最後を飾る映画だ。
映像と内容と音楽、そのすべてに迫力と念がこもっていて、圧倒さ れる。
4時間も付き合い、観終わった後は、しばらく虚脱状態で茫然とし てしまった。
映画全編に流れるワーグナーの音楽に気が重くなってしまうが、 途中でシューマンの「子供の情景」の曲が流れてきた時は、ほっと した。
とにかく大変な映画だ。
09.17
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引き続きオスカー・ワイルド。
『サロメ』『ウィンダミア卿夫人の扇』『まじめが肝心』の3作。
いずれも劇作で、『サロメ』は言わずと知れた悲劇物、あとの 2作は喜劇物。
特に『ウィンダミア卿夫人・・・』と『まじめが肝心』は上手くでき ている。皮肉と軽妙さが筋を前に引っ張っていく。
きっと楽しみながら書いたに違いない。
絶頂から一挙に転落したその後のワイルドの人生を考えると、 なんだか不思議な思いにとらわれる。
09.16
-
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を読んだ。
これまで読んできた作家たちのいずれもがオスカー・ワ イルドに影響を受けたと言っているし、『ドリアン・グレイ・・』 を取り上げているので、読んでおこうと思った。
読んでいる途中で、「あれ、これって『さかしま』に似てる。」
と思ったら、そのはずで、主人公がユイスマンスの奇書『さ かしま』を読んで影響を受けているのだ。
なんとなくポーの小説にも似ている感じがするけれど、気の せいか。
プルーストの『失われた時を求めて』、ショパン、『ドリアン・・・』 と、19世紀のヨーロッパの上流社交界の世界にどっぷりつ かっている。
09.14
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『ショパンの手紙』を読んだ。
ワルシャワ時代から亡くなるまでの間、友人、知人、家族たち に送った手紙などが、年月日順に編集されている。
ショパンはたくさん手紙を書いている。遺されたものだけでも、 凄い数だ。お陰で、読んでいるだけで、人間ショパンがそこか ら鮮やかに浮かび上がってくる。
興味深い話や事実が散りばめられていて、まるでショパンと 同時代に一緒に生きているような錯覚に陥る。
読んでいると、どんどんショパンへの思い入れが激しくなって 行く。
だから、ジョルジュ・サンドに対する見方が自然ときつくなる。
同性としては、ジョルジュ・サンドの心中を思い遣ってもいい ところだけれど、そうはならずに、すっかりショパンに肩入れ して、「あんな女にさえ会わなきゃ、ショパンはもっと長生きし て、たくさん傑作を遺したに違いないんだ!」と叫んでしまう。
亡くなる直前に友人や家族に送った手紙は本当に辛い。
そして、ショパンが亡くなってしばらくしてから、彼の友人が ショパンの関係者に送った手紙は、読んでいると涙が止まら なくなってくる。
ショパンが亡くなってから162年経つ。162年後、日本の片隅 でこんな風に自分の書いた手紙が読まれているなどと、あの 天才は知る由もない。
でも、自分の作った音楽が162年後にも愛されて、聴く人間 の心の奥底を揺さぶり続けるだろうということは、予感してい たに違いない。
09.11
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ルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』と『ベニスに
死す 』を観た。
プルーストの『失われた時を求めて』を読んだことで、20世紀初 頭のヨーロッパの貴族、ブルジョワの世界を映像として観たい と思い、そうなるとヴィスコンティの映画を観るのが一番ふさわし い。
奇しくも、『ベニスに死す』の撮影に使われたホテルが取り壊さ れることになった。
更に、『地獄に堕ちた勇者ども』の時代はナチスの台頭の頃で、 この頃の上流社会の様子も観ておきたかった。
ヴィスコンティの映画のテンポは独特だ。やっぱり貴族の出だ からかなあ。
イタリアに行きたくなった。
09.02
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『失われた時を求めて』の第七篇『見出された時』を読み終えた。
つまり、遂に『失われた時を求めて』全篇を完読したわけだ。
読み始めてから約2ヶ月。長い時間がかかった。
この作品を読んでみようと思ったきっかけやその時の心情は、 よく覚えていない。けれど、読むべき時に読むべくして読んだ、 と言っていいだろう。
もっと昔では早過ぎた。もう少し先になっていたら、遅かった。
この作品が教えてくれたもの、この作品がそこに導いてくれそ うな何か、この作品によって呼び覚まされたもの。そういったも のが言い尽くせないくらいたくさんある。
またいつの日か、読み返してみようと思う。始めからでもいい し、作者が言うように、どこから読んでもいいだろう。
使い古された言い方だけれど、もし無人島に持って行くとした ら、『ドン・キホーテ』 全巻と『失われた時を求めて』全巻だ。
ついでのようで失礼だけれど、訳者の鈴木道彦氏に敬意と 感謝を捧げたい。これは素晴らしい仕事で、この翻訳のお陰 で、難解と言われていた『失われた時を求めて』 を日本人の 私でも、困難なく読み通すことができた。
さて、私も私のやるべき事をやらなくちゃな。
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フリッツ・ラング監督の『M』を観た。
2011年8月(9件)
08.30
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久々にライブやります!
11/22 (火)南青山『MANDALA』で、「美山夏蓉子 声とうた のワンダーランド」と題してのライブです。
今の私であり、これからの私でもあるステージにしたいと 思っています。
休日の前夜、是非お出かけください!
詳細はスケジュールページをご覧ください。
08.29
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『失われた時を求めて』の第六篇『逃げ去る女』を読み終えた。
愛人の失踪、その死。愛人の行動への疑惑、嫉妬、心の葛藤 そして、忘却に至るまでを、それこそ秒単位で描写している。
拡大鏡で自分の心理状態を見つめ、分析している「語り手」に こちらもずっと付き合っているわけだけれど、ここまで来ると、 すっかり知り合いのような気になっているし、まるで自分のこと を書いてもらっているような錯覚にさえ陥ってしまう。
さて、いよいよ最終篇に突入する。
腰を据えて読み始めることにしよう。
08.26
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『失われた時を求めて』の第五篇『囚われの女』を読み終えた。
『失われた時を求めて』という作品は、色々な視点を持っていて、 それらが実に巧妙に構成されている。
芸術論でもあり、文学論でもあり、恋愛論でもあり、心理学的で もあり、哲学的でもあり、そしてまた社会風刺の側面もあり、そ れらを包括しながら、ひとりの青年が作家になる決意を固める までを描いた教養小説なのだ。
この『囚われの女』 の中では特に文学についての考察がなされ ているのだけれど、そこで取り上げられている作品を読んでいて よかったと思った。
ボーっとしながらも、一応は読んでいたお陰で、話についていけ たのだから。
ドストエフスキーの作品、スタンダールの作品、フローベールの 作品、トマス・ハーディの作品などなど。
それでも、ここでもやはり、聖書やギリシャ神話の教養がないこ とが特にヨーロッパの文学作品を読む上ではネックになっている のを痛感する。
今後そんな気力と時間を持つことがあれば、少しは勉強してもい いだろうけれど、これはほとんどあり得そうにもないな。
ま、そこは、所詮ちゃらんぽらんな私だから、素通りして、それな りに読み進むということにしよう。
08.19
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『失われた時を求めて』の第四篇『ソドムとゴモラ』を読み終えた。
タイトルからわかるように、ホモセクシュアルとレズビアンが主な るテーマだ。
プルースト自身が同性愛者だったことから、このテーマはどうし ても書きたいものだったのだろう。
特に中年の男性の若い美男子に対する恋心には、胸打たれる ものがある。
またプルーストの愛人だった若い男性がモデルになっている 若い娘に対する「語り手」の愛情と嫉妬も、切ない。
この作品の登場人物にはそれぞれ何人かのモデルがいるよう で、注釈には何も書かれていないけれど、これってもしかして、 ココ・シャネルのことなんじゃないの?と思える人物もいたりして、 相変わらず下世話な私は、こんな風にこの文学作品を楽しんで いる。
プルーストの生前に刊行されたのは、ここまでで、これ以後は プルーストの死後に刊行されている。そんなことにもまた切なさ が募る。
08.18
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ルキーノ・ヴィスコンティの『山猫』を観た。
この映画が19世紀のシチリア貴族を描いているということで、 国も時代も少しとは言え違っているものの、『失われた時を 求めて』を読むのに、いい助けになるかと思ったのだ。
その上、ヴィスコンティが『失われた時を求めて』の映画化を 計画していたということも知って、何かつながりのようなもの を感じたということもあった。
完璧主義者のヴィスコンティならではの映像は圧倒的で、 観ておいて損はない。
映画を観ていて、何故か三島由紀夫のことが浮かんだ。
プルースト、ヴィスコンティ、三島由紀夫。
この3人に共通の何かを感じた。
08.11
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『失われた時を求めて』の第3篇『ゲルマントの方』を読み終えた。
これで折り返し地点まで来た。
この『ゲルマントの方』に描かれている社交界の実態は、もち ろん20世紀初頭のパリの社交界という特殊な環境の中での ものだけれど、登場人物たちの駆け引き、腹の探り合いとい ったところは、どこかで見たことがあるようで、苦笑してしまう。
ここまでみっちり、ねっちりと観察し、描写したプルーストの しつこさには参ってしまう。
この異常なまでの執念深さがポイントなんだろうな。
この先の展開の異様さを予感させる終わり方に、ますます 期待が高まる。
後半戦へ。
08.06
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寄り道ついでに、ちょっと興味のあったココ・シャネルの伝記
を読んだ。
ジャーナリストのマルセル・ヘードリッヒという人がシャネルへ のインタビューを土台にして書いた『ココ・シャネルの秘密』と いう本だ。
シャネルをテーマにした映画は2本ほど観たことがあるけれど、 やはり本人の語る言葉はインパクトが違う。
自立する女として、死ぬまで働き続け、たくさんの恋愛もした けれど、仕事が全てだった彼女の自我と孤独が胸を打つ。
下世話な私としては、彼女の周りに集まった有名人たちに 心躍った。
ジャン・コクトー、ラディゲ、ピカソ、ダリ、ストラヴィンスキー その他たくさんの才能。
そして、シャネルが社交界に出入りし始めたころ、そこには プルーストもいたのだ。
こうして意外なところで、『失われた時を求めて』 とリンクし た。
ということで、寄り道はこのくらいにして、また『失われた時 を求めて 』に戻ることにする。
08.04
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『失われた時を求めて』の途中ではあるけれど、知人に薦めら
れて『聖書を語る』という中村うさぎと佐藤優の対談をまとめた
本を読んだ。
キリスト教徒の二人による対談なので、当然宗教的な色合い が濃い内容だけれど、何と言っても中村うさぎが面白い。
彼女の書いたものは読んだことはなくて、ただ買い物依存症 であるとか、デリヘリ嬢をしたとかいう情報しか知らなかった。
中村うさぎの率直で鋭い見方が面白いし、また相手の中村 優の博識にも驚く。
震災後の日本がどう変わっていくかというところまで話が進 んで、非常にタイムリーな内容で、これは一読をおススメ。
また対談の中で、中村うさぎが村上春樹の『1Q84』をボロク ソにこきおろしていて、これが結構笑える。
私自身は全く興味が湧かないので、村上春樹の作品はひ とつも読んでいないし、これからも読む気はしないけれど。
それにしても中村うさぎという人は面白い。要チェックかな。
08.03
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ちょっとした気分転換がしたくて、久しぶりに『フレンチ・コネクション』
を観た。
もう40年も昔の映画だというのに、ちっとも色褪せていない。
見事な作品だ。
いわゆるスター俳優は誰も出ていない。美しい映像ではない。けれ ども、初めからお終いまで、惹きつけられたままだ。
俳優とスタッフのそれぞれの技術の質の高さが伝わってくる。
それより、これは監督のセンスの素晴らしさなんだろうな。
非常に私の好み。
最高の気分転換になった。
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久々にライブやります!
2011年7月(6件)
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07.30
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ジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』を観た。
この監督の作品が好きかと言うと、それほどでもない。
主演のジーナ・ローランズが好きだから観た。
凄いなあ、この人の演技は。
『オープニング・ナイト』も『グロリア』もよかったし、この『こわれ ゆく女 』もよかった。
なにしろカッコいいのだ。煙草を吸う姿もいいのだなあ。
凄い女優の演技は、ゾクゾクしてくるし、興奮してくるし、体の 中から力が湧いてくる。
同性だから直接的に感じるものがあるからなのか。
それとも演技というのは、女性的なものなのか
。 決してハッピーになる映画ではない。むしろ観た後には、ど っと疲れが出るかもしれない。けれど、観る価値はある映画だ。
07.28
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『失われた時を求めて』の第二篇『花咲く乙女たちのかげに』
を読み終えた。これでようやく13分の4まで来た。
いやあ面白い、面白いのなんのって、とにかく面白い。
貧弱な表現しかできないけれど、これまでも何度も「面白い」 と書いてきてけれど、それとはまったく違う次元の面白さ。
これまで経験したことのない、これまでのどれをも超える面白 さ。
ストーリーというよりも、もちろんストーリーそのものもだけれど、 それより、人物、物事についての見方、心の有り様、その変化 の捉え方、そして、描き方のあまりにもの見事さに、のけぞり ながら読み進んでいる。
魅了されっ放し、いやいや、酔いっ放しである。
まだ半分も読んでいないくせに結論めいたことを言うのは、お っちょこちょいもいいところだけれど、この小説は、これから何度 でも読み返すことになると思う。
それも、初めからである必要もなく、どの部分を読んでもいいの だ。どこをとっても、『失われた時を求めて』なのだ。
この小説の翻訳としては、井上究一郎氏のものがとても有名だ そうだ。でも、今私が読んでいる訳者の鈴木道彦氏の文体も大変 すばらしい。そして、なにより、私のような頭脳の働きの鈍い人間 を、的確に導くガイドぶりが有り難い。
さて、また更に読み進んでいくとしよう。
07.19
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第二冊目を読み終えた。つまり、『失われた時を求めて』の
第一篇『スワン家の方へ』を読み終えた。
この大作は全部で七篇の話から出来ていて、それぞれの 篇それ自体が一つの作品として成立している。
今日読み終えた第一篇の第2部にあたる『スワンの恋』は、 非常に面白かった。
男の、それも決して若くない男性の恋心、嫉妬心を知るに は最適だ。
そして、それは現代にあっては、キャリアを積んでいる年 を重ねた女性にも当てはまる。
この小説はもっと深く普遍的なテーマを扱っているのだろう けれど、下世話な私のような人間にとっては、それよりも、 登場人物それぞれが、自分の知り合いの誰それに似てい る、そうそうこういう感じだよなあ、などと思い浮かべながら 読むことができて、それがたまらなく面白い。
色々な角度から読み込めそうで、この先も楽しみだ。
各篇が読み終わるたびに途中報告ということにしよう。
07.14
-
やはりなかなか読み進まない。
『失われた時を求めて』全13冊の第一冊目をようやく読み 終えた。
スローモーション、ストップモーション、望遠鏡的、顕微鏡 的で、今の時代からこれほどかけ離れたタイム感の小説 もないだろう。
しかし唸らされる表現のオンパレードで、ため息が出る。
そして自分の中にもある心の状態を、あれほどまでに分析 し、解きほぐし、示されると、呆気にとられてしまう。
この先どう展開していくのか、どう結末に持っていくのか、 長い長い時間をかけて見つけることになる。
急ぐ旅でもなし、締め切りがあるわけでもなし、フリーな生 活を送る身だからこそ許される時間を有意義に使うことに しましょ。
何か書けるような段階でもないけれど、取りあえず、途中 経過報告まで。
07.08
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さて本日から、生涯に一度は読んでおくべき本かと思い、
プルーストの『失われた時を求めて』を読み始める。
文庫本にして13冊。易々と読み進めそうにもない内容か ら考えて、読み終えるのに何カ月かかるかわからない。
とにかく完読を目標に、読み始める。
今回はジョイスの『ユリシーズ』のような挫折は多分ない と思う。
こういうこともやっとかなくちゃいけない。
心して取り掛かるとする。
07.07
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ノーベル賞作家エリアス・カネッティの『眩暈』を読んだ。
作者26歳の時の作品だ。
読んでいるこちらの方が“眩暈”を起こしてクラクラしそう な作品だった。 狂人たちによる喜劇的な人間模様。
登場人物の誰もかれもが妄想を抱き、誤解し合ったまま 事態が動いて行く。
この作家の生涯のテーマである「群衆」を象徴するような 言動が散りばめられている。諷刺に充ちている。
笑いながら読んでいたけれど、最後には狂人の凄まじさ に中った。
しばし休憩の必要あり。
-
ジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』を観た。
2011年6月(11件)
06.29
-
トマス・ピンチョンの『逆光』をようやく読み終えた。
全編1,674ページに及ぶ超大作。
いやあ、それにしても面白い。ぶっ飛んでいて、奥深い。
9.11テロ後、ピンチョン69歳の作品ということにも意味がある。
これまで読んだ彼の作品の集大成のようでもあり、結論のよ うでもあり、この先の予告編のようでもある。
今までの作品より読みやすい書き方をしているけれど、やは りクラクラとめまいをおこさせることには変わりない。わけの 分からないところは相変わらず至るところにあって、そこは すーっと素通りして読み進むという知恵もついた。
当然ながら日本語訳には限界があるだろうけれど、それでも 私にとっては充分面白かった。
この作品についてもたくさんの解釈本が出ているらしい。それ を読むのもいいだろうけれど、とりあえずは、作品そのものを 自分なりに楽しむことでいいことにする。
この人のおかげで物事の見方、歴史の捉え方が大きく開かれ、 さらに、人類、人間全体を見渡す視点が高くなった。
一番新しい作品の翻訳本もそのうち出るらしい。待ち遠しい。
06.28
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ルイス・ブニュエルの『自由の幻想』を観た。
『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』『銀河』との3部作になる ようだ。
一番ルイス・ブニュエルっぽい感じかな。
皮肉たっぷりに、こちらの思いこみを覆しながら、さんざん 振り回し、弄ぶ。
笑いながら観ていると、実はこちらが笑われているのだと いうことに気づいて、くやしくなってくる。
やっぱりルイス・ブニュエル。
はい、恐れ入りました。
06.26
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4月の浜松のライブが YouTube にアップされ ました。
ライブの抜粋で、3本に分かれています。
お時間のある時にどうぞご覧ください!
1. ソロ・ヴォイスパフォーマンス
2. / チンドン 『和的』
3. w/チンドン 『アラビアの歌』
06.24
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ルイス・ブニュエルの後期の作品『銀河』を観た。
はっきり言えば、内容的にはよくわからない。宗教に関する パロディのような作品だからだ。
ただし欧米のことを考えるときに、どうしたって宗教のことを 抜きにはできないわけで、難しい本を読むよりは、こうやって 違う視点から捉えた映画を観る方が、とっつきやすいし、そ のおかげで勉強になる。
それは別としても、どうしてだろう、ルイス・ブニュエルの作品 が好きだ。
映像、空気、タイム、そういったものがしっくり来る。
黒澤や溝口を観たときのような圧倒的な恍惚感とは違う。
なんだろうな。
もしかしたら「夢」を見ているときの感覚に似ているのかもし れない。
わからない。
06.17
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ということで、エイゼンシュテインの未完の遺作『イワン雷帝1
部、2部』を観た。3時間強の長編だ。
1944年~46年にかけて作られていて、トーキーだし、一部 分カラーも使われている。
とにかく凄くて、驚いてしまう。
なんといっても映像だ。歌舞伎に影響を受けたということが 納得できるセット、美術、衣装、メーク、そして照明、もちろん 演出。
『戦艦ポチョムキン』と同じく、群衆の数の凄さにびっくりす る。鳥肌が立った。
忘れていけないのが、俳優の演技。凄い。
映画はスターリン批判と受け取られて、12年間上映禁止 になったという。また、イワン雷帝といえば、ヒットラーが崇め ていたということで、どちらの独裁者の姿もダブってみえて くる。
この映画を観たチャップリンが感動してエイゼンシュテインに 電報をうったという。
天才は天才を知る、ということだろう。
しかし凡才たる私でさえも、この映画には感動した。『戦艦 ポチョムキン 』ともども、超々おススメ。
06.16
-
恥ずかしながら、実は『戦艦ポチョムキン』をまだ観たことがな
かった。ネットで¥500 のDVDが出ているのを知って買った。
いやあ、凄い。驚いた。1925年に、もうこんな映画を創った人 がいたのだ。
ストーリー自体より、やはり映像にびっくりだ。特に、有名な 「オデッサの階段」のシーンは、息をするのも忘れた。
こうなると、セルゲイ・エイゼンシュテインの他の作品も観て みたくなる。この人の天才、エグさをもっと知りたくなる。
06.15
-
ルイス・ブニュエル監督の『哀しみのトリスターナ』と『エル』を
続けて観た。
『エル』はメキシコ時代、1953年の白黒映画で、『哀しみの・・・』 は、晩年の1970年のスペインでの作品だ。
どちらも偏執狂的作品で、どちらも女優をいたぶることではヒチ コックのようなところもある。そういえば、ヒチコックはブニュエル の作品を気に入っていたらしい。
私の好みは断然『エル』の方で、これでもか、という執拗な描 き方がたまらない。
毒のある作品が好きだということで、この傾向はますます強く なっている気がする。
06.13
-
ルイス・ブニュエル監督の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を
観た。
一度観ただけではよくわからなかったので、続けてもう一度観た。
不思議な作品だ。多分何度観ても飽きない。多分観る度に発見 がある。面白い
。 夢の中で見る場所や、その時に一緒にいる人たちは、自分が 死んであの世に行くときの通路であり、一緒にあの世に渡る人々 だ、という話を聞いたことがある。
この作品はそのことを面白可笑しく伝えているのではないか、と 考えながら観た。
色合い、タイム、サウンド、ムード、それらが私のツボにはまった。 お気に入りの作品になった。
06.11
-
デレク・ジャーマン監督の『カラヴァッジオ』を観た。
イタリアの画家カラヴァッジオについても、デレク・ジャーマン についても、ほとんど予備知識を持たずに観た。
何かの広告で気になって、何でも観てみよう、の精神に則っ って観てみた。
決して私の好みの作品ではない。
それでも映像や、音楽のアイディアに面白いところがあった。
といっても、映画の醍醐味は感じられなくて、ミュージックビ デオの集合作品のようで、そこがどうも私にはつまらない。
まあ、色んな監督がいて、色んな映画があるってことだな。
06.10
-
サタジット・レイ監督作品『大地のうた』を観た。
黒澤明が自分の映画館を持ったら絶対に上映する、と絶賛 したというので観た。
とにかく映像の素晴らしさに胸をうたれた。
そして、自分にとってどこか悲しくも懐かしい光景を思い出し た。
いかにもインド的ではあるけれども、一昔前の日本人ならば 共感するに違いない。
今回の震災と重ね合わせて観てみると、また考えることが あるかもしれない。
是非ご覧になることをお薦めしたい。
06.01
-
トマス・ピンチョンの『V.』を読んだ。
トマス・ピンチョン衝撃のデビュー作にして、フォークナー 賞受賞作。26歳の時の作品。
26歳でこんなもの書けるのか?
とにもかくにも驚きの作品だ。『重力の虹』で鍛えられた お陰で、この作品を読むこと自体は、さほどしんどくはな かった。音楽に携わる身には、くすぐったい箇所もある。
それにしても、ぶっ飛んだ、謎めいた、とんでもない作品 だ。
これまで読んだこの作家の作品に共通していることは、 歴史の捉え方だ。そこがユニークだ。面白い。
原書で読めたらなあ。でも、無理だな。
翻訳家の努力を買い、翻訳文を信頼するしかない。
トマス・ピンチョンに完全にハマってしまった。読みたい 作品がいくつかある。
現在74歳。この先も書き続けるのか。
ノーベル賞を受賞するのか。受賞したら受賞式に出席 するのか。謎の作家を観てみたい気もするし、謎のま まであってほしい気もする。
こんな風にワクワクさせてくれる人間が同じ時代を生き ている。なんてラッキーなんだろう。
-
トマス・ピンチョンの『逆光』をようやく読み終えた。
2011年5月(8件)
05.26
-
ルイス・ブニュエル監督の『忘れられた人々』を観た。
『コヤニスカッティ』の監督がこの映画を観てショックを 受けたというので、観てみた。
ありのままを映しだし、センチメンタルなところの一切 ない、乾いた、救いのない、そんな映画だ。
観る者に体験させ、刺激し、後は自分たちで考えなさ い、という姿勢が見える。
夢のシーンの映像がいい。
『コヤニスカッティ』には、どこかこの映画に共通するも のがあるように思えるな。
05.25
-
『コヤニスカッティ』を観た。
映像と音楽だけで構成された映画。
1984年に日本で公開されたということも知らなかった。
あの頃、私はどうしていたんだっけ?
ふとそんなことを考えさせられた。
アメリカという国を映し出しているけれど、日本が今、 こういう状況にある時に観てみると、感じるものがあ るかもしれない。
感性に訴える作品。
05.20
-
すっかりファンになったエミリー・ワトソンの演技が観たくて、
『アンジェラの灰』を観た。
ピュリッツアー賞を受賞したフランク・マコートの原作をアラン・ パーカー監督が撮った映画だ。
映画そのものもとてもいい作品だ。子役がいい。
この映画でのエミリー・ワトソンは抑えた演技をしている。こ ういう彼女もまたいい。
この作品の前に『愛のエチュード』という作品も観た。『バー トン・フィンク 』のジョン・タトゥーロが主役の映画で、この作品 もいい。
ここでのエミリー・ワトソンの演技もいい。
エミリー・ワトソンという女優を知ったことも嬉しいし、そのお陰 で、触れることのなかった佳作にも出会えた。
しかし、『奇跡の海』の演技が与えたインパクトは相当なもの で、もしまだ観たことがなければ、超おススメ。
05.16
-
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』を観た。
天才ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロの演奏を恥ずかしながら 聴いたことはない。凄い演奏だという話だけは聴いたことがあ った。
ダニエル・バレンボイムと結婚していたことも知らなかった。
この映画を観ようと思ったのは、主演のエミリー・ワトソンを 観たかったからだ。
『レッド・ドラゴン』でいいなあと思い、『奇跡の海』でたまらな く好きになった。
『ほんとうの・・・・』の演技もやはり素晴らしかった。きっと本人 はこんな風だったに違いないと思わせる。
すこしばかりチェロの心得があったらしいけれど、ここまで弾く 姿を体得するのは大変だっただろう。最近観た『ブラック・スワン』 のナタリー・ポートマンもそうだったけれど、女優というのは凄い もんだと思う。
ともあれ、ジャクリーヌ・デュ・プレ本人の演奏を聴いてみたくな った。エルガーの協奏曲を聴いてみようか。
05.14
-
久しぶりに黒澤明の『羅生門』を観た。
いったい自分のどこを刺激されるんだろう。
あの音楽とそして、豪雨、朽ち果てた門、木洩れ日と藪の中。
そのすべてが自分の知っている風景で、思い出に結びついてい て、そう、夢の中のようでもある。
あの映像美はやはりクロサワだ。
あのエネルギーもやはりクロサワだ。
京マチ子はやっぱりいい。
05.12
-
トマス・ピンチョンの『重力の虹』をようやっと読み終えた。
まったくとんでもない小説だ。帯に「現代文学の極北」と銘打って あったけれど、まさしくそのとおり。こんな小説が全米図書賞を 受賞したというのだから、アメリカという国は面白いと思う。
一言ではとてもこの作品について言い表せない。
なんだか訳が分からない点がたくさんあるのだ。この作品につい ての研究本がたくさん出てるらしいけれど、そりゃそうだろう。
この作品を翻訳した人たち(4人)は大変だっただろう。きっと日本 語に言いかえるのは至難の業だったに違いない。
それにしてもトマス・ピンチョンという作家はどういう人物なんだろう。 脳みその中はいったいどうなってるんだ?
アメリカという国はどうなってるんだ?
05.10
-
フランシス・フォード・コッポラの『カンバセーション~盗聴』を観た。
1974年の作品で、カンヌでグランプリを獲っている。
これは拾いもの、と言っては失礼だけれど、期待を持たずに観た ところ、なかなかよかった。佳作だ。
全体を貫くトーンがいい。
コッポラと言えば、『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』のよう な大作を創る監督だと思っていたけれど、こういう渋いミステリー を創っていたとは意外だ。
主役のジーン・ハックマンがやっぱりいい。ただし、サックスを吹く シーンがあるのだけれど、そこはダメだな。もうちょっと本当に吹い ているように見えないと、興ざめだな。
まあ、それ以外はいいので、おススメ。
05.01
-
溝口健二の『西鶴一代女』を観た。
やはり凄い。魅入られてしまう。
あのタイム感、空気感はたまらない。
狂気や殺気すら感じる。 そして田中絹代に圧倒された。
この映画は溝口健二が田中絹代という映画女優のために 創った映画に違いない。
映画でなければできない表現。映画の中でこそ活きる女優。
監督の女優に対する偏愛的なものを感じる。
それにしても恐るべし溝口健二。
-
ルイス・ブニュエル監督の『忘れられた人々』を観た。
2011年4月(7件)
04.30
- 先日のクリエート浜松でのコンサート『こえのたび』で私の相棒 をつとめてくれたチンドン太鼓のShigemiちゃんがブログを開設 しました。コンサートのことも書いてくれてます。アクセスしてみ てください。
04.29
-
小津安二郎の映画を観ていて、杉村春子の上手さにびっく
りして、どんな人なのか興味が湧いた。
上手いということと、声がいい、声の使い方、使い分けを知 っていることに感動した。
というわけでネットであれこれ検索し、凄い女優ならではの 傲慢さやら、それゆえの周囲からの反発やらについて書い てあるのを読んだ。
自分が杉村春子の弟子や後輩だったら、どう思ったかはわ からないけれど、とにかくただの観客として観れば、凄いと いうことだけで十分。
もっともただの一度も彼女の舞台を観ていない。これは、 残念だ。
生前、玉三郎と対談した記事がネットに載っていたので、 もし興味があったらどうぞ。
04.28
-
フェリーニの『8 1/2』を観た。
ヘンテコさ加減がいい。
自分の脳の中、思考を映像化したらどうなるだろうと想像し てみる。
映画にしかできないこと、映画だからこそできることを表現 して見せた、ってところが凄い。
私のお気に入りのシーンは、サラギーナのダンス、そして 何と言ってもラストのロケット発射台での大団円のダンス。
人生とはこういうもので、社会とはこういうものだ、というこ とをただただ映像化して表現したところは、カッコいいのひ と言。
音楽にしかできないこと、声にしかできないこと、声だから こそできること、私にしかできないこと、私だからこそできる こと。それはどういうものなんだろう。
道は続くのだ。
04.21
-
スペイン映画『ダリ天才日記』を観て、本人についてもう少し
知りたくなって、BBCが制作したドキュメンタリーをDVD化し
たのを観た。
『ダリ天才日記』は面白い映画だ。ダリ役の俳優がいい。
相当誇張しているけれど、ダリになり切っている。
私が面白かったのは、アンドレ・ブルトンらシュール・レアリ ストたちとの決別シーンで、ダリにとっては彼らも枠にはま ったスクエアーな人間たちにしか映っていなかったっていう ことか。
一方ドキュメンタリーの方は、やはり本人登場とあれば、そ れだけで面白い。
しかし天才ダリも運命のパートナー、ガラに出会うまで自分 の才能を凡庸だと思っていたというのには、驚いた。
つまり、もしガラと出会わなかったら、ダリは埋もれてしまっ ていたかもしれないということになる。あのグニャリとした 時計の絵たちは生まれなかったということになる。
「ダリとガラでダリ」とダリは言っている。
一人の画家の天才を見抜き、自分の半生をその画家の 人生に捧げた女性。
二人三脚。
逆の関係だけど、岡本かの子と岡本一平もそうか。 ちょっと次元が違うけど。
ま、とにかく、いいなあ、そんな関係。
04.19
-
4/16(土)浜松でのコンサートは大成功!!
聴きに来て下さったみなさん、ありがとうございました。
手ごたえを感じ、可能性も見えてきた。
当日の模様は、後日YouTubeにアップされる予定。
たくさんの出会いがあり、楽しい時間だった。
元気をもらって帰ってきた。
04.10
-
ペドロ・アルモドバル監督の『バッド・エデュケーション』を観た。
『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥ・ハー』とはテイ ストが違う作品で、私としては今一つ親近感を覚えなかった。
もちろんよく考えられていて、映像もいい。
DVDで観たので、監督のコメンタリーが聴けた。
この人のアンテナの張り方には驚く。
だからこそああいう作品が創れるのだろう。
そのアンテナの先には人間がもちろん含まれていて、人間 を観るその観察力の鋭さが作品を普遍的なものにしている。
でも、やっぱり『トーク・トゥ・ハー』 がいいなあ。
ピナ・バウシュが踊ってるし、カエタノ・ベローゾが歌ってるし、 エリス・レジーナの歌も流れてるし。
また観たくなった。
04.03
-
オルハン・パムクがノーベル賞に最も近い作家として名前を
挙げていたアメリカの作家、トマス・ピンチョンの『メイスン&
ディクスン 』を読んだ。
地震以来なかなか読み進まなかったし、そもそも長編の上、 ゴチャゴチャとした文体、内容なので、かなり時間がかかって しまった。
メイスン&ディクスンと言えば、南北戦争に大きな影響を与え た「メイスン&ディクスンライン」で知られた2人だ。
言ってみればこの2人の珍道中なわけだけれど、時間がかか った分、それだけこの2人に付き合ったことになり、読み終え た時には、別れが惜しくなった。
この作品も、他の海外作品と同じように、原語で読まなけれ ば、本当の面白さを味わえないことは間違いない。
それでも、翻訳家の頑張りのお陰で、この作家の「ぶっ飛んだ」 作風は伝わってくる。
読みながら、『ドン・キホーテ』やガルシア・マルケスの作品や、 フォークナーの作品が頭をよぎった。
共通するものがある。
結局この作家に惹かれたということだ。
この作家はどうやら謎の危ない人物らしい。
もうひとつ読むことにした。かなり時間かかりそうだけれど。
2011年3月(7件)
03.31
-
バースデイプレゼントにいただいたDVD、ペドロ・アルモドバル
監督の『オールアバウトマイマザー』を観た。
この監督の『トーク・トゥー・ハー』にハマったことを知っていて、 それなら、ということでプレゼントしてくれたのだ。
やっぱりツボに来た。
奇人変人たちの織りなす人間模様の描き方と、色彩感覚が ツボに来るのだ。
そして観終わった後、なぜか自分のCD『ポッペンを吹く女』を 聴きたくなった。
レコーディング以来本当に久々に聴いた。あれから時間も経ち、 第三者的に客観的に聴ける時期でもある。
いやあ、なんて面白いCDなんだろう。
自分のツボに来る、ヘンテコで不思議なCDだ。
ペドロ・アルモドバル監督の何かと共通するものがあるから、 聴きたくなったのかもしれない。
まったく自画自賛してれば世話ないけれど、まあ、たまには いいさ。
03.25
-
本日誕生日。
今年も無事に迎えられた。
今年の誕生日は特別だ。
私にとって、大きな意味を持つ。
人生の中で大きな意味のある年齢になった。
誰が決めたわけでもなく、ただ自分の中に、 以前からそういう直感があった。
直感は当たるのだ。
03.20
-
ちょうど1年前、ミニツアーで山形、仙台にいた。
山形、仙台で出会った、またお世話になった方々は皆無事 だった。
それでもそれぞれの人が、それぞれの状況によって、これ から大変な現実に直面しなくてはならないに違いない。
音楽に携わっている人間として、何ができるだろう。
それも、極々マイナーな音楽に携わっている人間ができる ことは何だろう。
音楽を通して何かを、と考えるのは思いあがりかもしれな い。
音楽を通してしか何もできないと考えるのも間違っている。
私の音楽は何の力にもならないかもしれない。
でも、ひょっとしたら、私の音楽がほんのわずかの人にと って、力になるかもしれない。
私にできることは、音楽に携わる人間の前に、一人の人 間としてやるべきことをやること。
そして、もしかしたら、私の音楽で、たった一人の人でも 元気の素をもらったと思ってもらえるかもしれないから、 いつも真剣に音楽に関わって、いつでも応えられるように 正に心技体を鍛錬しておくこと。
私がやるべきことは、そういうことなのだと思う。
03.12
-
みなさんのところは無事でしょうか?
地震が起きた時は家に一人でいて、とにかく怖かったです。
とうとう東京大震災が起こったかと思い、もはやこれまでか、 などと悲観的に考えました。
しかし、震源地の被災状況はそんな話ではないです。
そして福島原発の爆発という事態まで起こってしまいました。
巨大地震が引き起こした新たな地震と、その被害を考える と恐ろしくなります。
取りあえず私は無事です。
今回こそ、非常時のための準備をしようと思っています。
03.08
-
小津安二郎の『晩春』 のDVDを買った。
久しぶりに観た。何度目になるだろう。
どうにもならないくらい胸の底から感動が湧きあがってくる。
なんでこんなに素晴らしいんだろう
。 なにかとんでもない秘密があるに違いないと思ってしまう。
なんなんだろう。
観る度、そして今回もまた泣いた。
これで『七人の侍』 『雨月物語』 『晩春』 と私の中での日本 三大名画のDVDが手元にあることになった。
もうそれだけでも満足だし、幸せだ。
いつまでも黒澤、溝口、小津じゃなくて新しい今の監督たち の映画もいいよ、と言われるけれど、でも、どう比べたって、 この人たちにはかなわないのだ。違うのだ。
こんな風に痺れて、震えないのだ。
03.06
-
中古DVD屋で『ブレード・ランナーのディレクターズ・カット最終版』
を買った。
久しぶりに観たけれど、やっぱり素晴らしい。
映像は言うに及ばず、全体のトーン、タイムがたまらない。
ルトガー・ハウアー、いいな。
リドリー・スコットと言えば『テルマ&ルイーズ』がお気に入りだけ れど、『ブレード・ランナー』はちょっと別格かな。凄い。
03.01
-
しばらく考えるところがあって、ライブを休んでいたけれど、久々
にうたいます。
浜松でのコンサートです。
新たな出発です。
詳細はスケジュールのページをご覧ください。
-
バースデイプレゼントにいただいたDVD、ペドロ・アルモドバル
監督の『オールアバウトマイマザー』を観た。
2011年2月(7件)
02.28
-
ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』の中にドビュッシー
のことが何度が出てきた。
久しぶりに聴きたくなった。
私にとってはドビュッシーと言えば、ピアノ曲。
大のお気に入りのミケランジェリのCDを聴いた。
なんて美しくて、深みのある演奏なんだろう。
ドビュッシーは「何か」を知っている。
そして、ミケランジェリも「何か」を知っている。
ドビュッシーがミケランジェリの演奏を聴いたら、自分の 曲をこんな風に弾いてくれるのを聴いたら、きっと歓んだ に違いない。
やっぱり素晴らしい音楽を聴くと幸せなのだ。
02.26
-
ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』を読んだ。
なんて作品なんだろね。
そもそもこの翻訳は何だ?これでいいのか?ちゃんと翻訳 されてるかどうかも疑ってみたくなる。
原作がそういう調子ってことなんだろうね。
まったく迷路のようなところをあっちこっちに引っ張り回され、 訳のわからない狂人の妄想のようなものにずっと付き合わ され、結局最後に行き着いた結果が、簡単な答え。
そして、尚、それが本当に答えなのかもわからない。
しかし、それこそが作者の言いたいことなのかもしれない。
この世のことも、あの世のことも、世界のことも、何もかも、 誰が答えを知っている?もっともらしいことを言っていても、 それが本当だなどと、誰が知っている?
だから、いつになっても作品は作り続けられ、そして読み 続けられていくわけだ。
02.16
-
やっぱり気になって『薔薇の名前』のDVDを観た。
呆れるくらいに何も覚えていなかった。
とにかく、映画は映画だ。原作と同じである必要はない。 そもそもあの原作を完全に映像化するなんていうことは、 所詮無理な話だ。
中世の修道院が忠実に再現されている。これがこのDVD を観てよかった点だ。今後中世のヨーロッパの作品を読む 時にもきっと助けになる。
DVDの良いところは、特典が付いていて、監督の音声コ メンタリーが聴けることだ。
とても興味深いことをたくさん語っている。
もし中世ヨーロッパに関心があれば、おススメ。
02.15
-
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んだ。
映画『薔薇の名前』は観たけれど、よく覚えていない。
オルハン・パムクの作品が『薔薇の名前』の影響を受けてい る、ということから読んでみた。
いやあ、とにかく面白い。凄い作品だ。
推理小説仕立てにしたことで、エンターテイメント性を持たせ、 その実、内容は濃く、深い。
様々な読み方ができる。それが読者に委ねられている。読む 人それぞれの読書経験によって楽しみ方が違うはずだ。
私はせいぜいシャーロック・ホームズが連想できたくらいだ。
それでも、脳を刺激され、随分と色んなことを考えさせられた。
大した人だな、ウンベルト・エーコは。
もう一作品読んでみることにした。
02.11
-
オルハン・パムクの『白い城』を読んだ。
33歳の時の作品だ。
途中で頭が混乱して、最後に「やられた」という小憎らしい 作品だ。
近年の作品ほどの濃厚さや大きさは感じられないにしても、 やはり既にこの頃から上手い。
エンターテイメント性を十分に発揮して、深いテーマを扱う、 というやり方が私のツボにハマる。
こうやってこの作品から20年後の作品を思うと、この人は 着実に力をつけ、大きくなったのだとわかり、なんだか知り 合いのような気がして、勝手に喜んでいる。
02.08
-
ナボコフの『賜物』を読んだ。
歯ごたえ十分で、青息吐息で読み終えた。
あの『ロリータ』を書いた作家は、大変な作家だった。
とてもじゃないが、全てを把握できるなんてことは無理だ。
5つの作品がひとつになったようなもので、しかもその一つ 一つが濃密だ。
ロシアについて、ロシア文学について、ロシア語について 何かしらの知識があるか、関心がなければ、ちょっとしん どい。
また読もうなどという気にはなれそうにもない。
いつも翻訳本を読むもどかしさについて言っているけれど、 今回はその極致だろう。
そして、こんな作品を日本語に翻訳し、尚且つ丁寧な注釈 までつけた訳者の労を称えたい。大変な仕事だったと思う。
作家も訳者も大仕事だった。
02.01
-
オーストリアの作家ペーター・ハントケの『幸せではないが、
もういい 』を読んだ。
この作家のことは全く知らなかった。オルハン・パムクが 称賛した作家だったので読んでみた。ヴェンダースの映画 『ベルリン天使の詩』の脚本を書いた人だった。
海外の作品を翻訳で読んでいるとどうしても限界を感じる けれど、この作品は特に原語(ドイツ語)で読めないことの もどかしさを痛感した。
いわゆるストーリーを追う小説ではなく、ある事柄や思考、 感情をどこまで言葉で表現できるかというテーマに取り組ん だ作品なので、尚更なのだ。
それでも、色々と興味深く、アヴァンギャルドでい続けること、 革新的であること、冒険していくこと、その姿勢について気づ かされたところがたくさんあった。
世界は広いな。
-
ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』の中にドビュッシー
のことが何度が出てきた。
2011年1月(8件)
01.29
-
オルハン・パムクの『無垢の博物館』を読んだ。
ノーベル賞受賞後第一作目の作品となる。
恋愛小説。しかし、ただの恋愛小説じゃあない。 自分が生まれ育ち生きてきた場所と時代を的確に捉えて、 中味は実に重層的だ。
そして恋愛の様々な心模様を 率直に曝け出している。
こんなに正直でいいのかと言いたくなるほどだ。
同時に共感もし、懐かしい感じもしてくる。
ほぼ同年代を生きてきたからなのだと思う。
ヨーロッパを目標にしていたトルコ。アメリカを目標にしてい た日本。そして自分たちの文化への誇り。似たような精神 的軌跡。
さらに、こういうやり方があったのか、してやられた、という ような構成力はさすがだ。
それにしても変態と紙一重の純粋無垢な愛情。
これまで恋愛小説といえば、私の中ではナボコフの『ロリー タ』 がダントツだったけれど、この作品は肩を並べた。
追いかけたいという気持ちを新たにした。
01.15
-
画家藤田嗣治のエッセイ選『腕一本・巴里の横顔』を読んだ。
ふとしたきっかけで藤田嗣治に興味を抱き、更にかつて我が 街に住んでいたと知って、縁を感じて読んでみた。
彼の絵は殆ど観たことがなく、つまり何の先入観も持ってい ないので、まっさらな状態で、この画家の生き方、考え方に 惹かれながら読み進んだ。
色々なことを考えさせられた。
日本人として世界の中でどうやってオリジナルな作品を創っ ていくのか。
それは時代は変わっても、未だに変わらない課題なのだ。
そして、ジャンルは違っても。
ストイックで真摯な姿勢に励まされる。<
どうやって勉強したらよいのかというアドヴァイスとしても、 この本を読むことをお薦めする。
01.14
-
スペインの作家、ハビエル・マリアスの『白い心臓』を読んだ。
トルコのオルハン・パルムにハマってしまって、彼が薦める 作家たちの作品を読んでみようと思った。
そこで、まずハビエル・マリアスのこの作品を読んでみた。
読み始めてしばらくは、何だか掴みにくくて、少々イライラ させられた。どこか自分が嫌いな作家に似ているような気も していた。
ところが、読み進むうちに、いつしかこの作家のマジックに つかまったか、そのリズムに慣れたか、一気に最後までた どり着き、読み終わったときには、その上手さに脱帽した。
いい作品は、やはり構築力が素晴らしいのだ。
もっとこの作家のものを読んでみたくて調べたけれど、どう やら日本語に翻訳されたものが他にはないようで、とても 残念だ。是非翻訳、出版してほしいと思う。
こうやってある流れに従って色々な作家の作品を読んでい くと、どうやらどの作家も、自分が影響を受けたとして名前を 挙げている作家たちが共通している。
当然と言えば当然かもしれない。
ドストエフキーだの、トーマス・マンだの、過去の偉大な作家 たちの作品を読む歓びは大きいけれど、オルハン・パルムや ハビエル・マリアスといった、ほぼ自分と同年代で、同じ時代 を生きている世界の作家の作品を読む歓びは、また違う意味 を持つ。
できるだけ彼らの作品をこの先もリアルタイムで読んでいき たいと思う。
01.09
-
ギュンター・グラスの『蟹の横歩き』を読んだ。
これは、ナチス・ドイツ政権末期におこった海運史上最大の惨事 「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」について書かれた作品だ。
犠牲者が9千人とも1万人とも言われ、タイタニック号どころの話 じゃない悲劇だったけれど、この事件に関して語られることは、 ずっとタブーだったらしい。
そのタブーにグラスが挑んだ形になる。
ドキュメンタリーではなく、あくまで小説として書かれている。 どの視点から書くかがポイントで、そこはグラスならではの方法 で、面白い。
少々物足りない印象はあるけれど、とにかく事件を白日の元に 晒さなければいけないというグラスの思いは伝わってくる。
75歳という年齢が書かせたのかもしれない。
01.08
-
オルハン・パルムのノーベル文学賞受賞講演をまとめた本
『父のトランク』を読んだ。
その他の講演やインタビューなども収められている。
作家本人の言葉で語られる作品にこめられた意図や思い、 そして文学に対する考え方に惹き込まれる。
ジャンルは違っても、伝わってくるものがたくさんある。
01.07
-
鶴見和子の『遺言』と『南方熊楠・萃点の思想』を続けて読んだ。
相変わらずの勉強不足で、鶴見和子という人については初めて 知ったし、南方熊楠のこともほとんど知らなかった。
どちらも奇人変人というところに惹かれるけれど、それより何よ り、熊楠の南方曼陀羅という考え方と、そこに着目して自らの 理論に引きつけた鶴見和子自身の考え方に感銘した。
鈴木大拙といい、南方熊楠といい、鶴見和子といい、こういう 日本人がいたということに感動もするし、勇気づけられる。
トルコのオルハン・パルムの作品を読み、そして今日熊楠や 鶴見和子と出会ったことは、私にとってはとても重要な意味が ある。
ある流れを感じる。
これからの生き方に大きく影響することは間違いない。
01.05
-
今年最初に読んだのは、オルハン・パルムの『わたしの名は紅』。
数年前にノーベル文学賞を受賞したトルコの作家の作品だ。
世界のあちらこちらの作家の作品を読むようにしたいと思っている わけだけれど、この地域の作家のものは今まで読んだことはなか った。
イスラム文化圏の作品に触れたことは意義深い。
それにしても、素晴らしい作品との出会いは幸福な気持ちにさせ てくれる。豊かな気持ちにさせてくれる。
この本は幾通りもの楽しみ方をさせてくれる。それだけ底が深い。 そして、やっぱり、上手い。
西洋の芸術にどう対して行くのか、トルコと日本とは違うかもしれ ないけれど、大変に共通する問題が語られている。これは私の 関わっている音楽世界にとっても非常に考えさせられるテーマだ。
ミステリー小説として読んでも、十分に楽しめる。超オススメ。
年頭からいい出会いだ。
01.02
-
謹賀新年。
今年もどうぞよろしく。
今年は色々と面白い一年になりそう。
楽しみながら、進みます。
-
オルハン・パムクの『無垢の博物館』を読んだ。
-
2010年(89件)
-
2010年12月(5件)
-
12.31
-
今年最後の日記。
なんとか年内に読み終えた今年最後の作品は、ギュンター・グラスの『女ねずみ』。
『ブリキの太鼓』を読んでいないと、ちょっと疎外感を味わうかもしれない。
文学でなければできないこと。文学の形態を借りて発言するということ。作家としてやるべきこと。
そういったことすべてが詰め込まれた作品だ。
作家の真摯な姿が浮かび上がってくる。戦う姿が見えてくる。
そして改めて自分のやるべきことに思いを馳せる。
比べるような存在ではないけれど、この小さな体でできることは、やらなくてはいけない。
12.30
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風邪で寝込んでいて、治ったと思ったら、もう年末になっている。
本も読みかけのままだ。
今年は2月にCD『ポッペンを吹く女』 を発売し、山形、仙台にお邪魔し、『カヨコのドンパン節』 をYouTubeにアップし、10月には、初めてのインプロを体験し、自分なりの発見がたくさんあった。
古い自分と新しい自分の入れ替え期であったように思う。
そういう時期特有の混乱もあり、ドタバタもあり、人生はいくつになっても落ち着かないものだと痛感した。
新しい年は新しい始まりの年になりそうで、どんなことになるのか楽しみながら前に進んで行こうと思う。
なかなか更新しないこの日記にお付き合いいただいて、心から感謝しています。
来年も引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
みなさんにとって来年がいい年でありますように!
12.19
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またYouTubeで見つけた映像について。
"From Mao To Mozart"。
つまり、毛沢東からモーツァルトへの移行ということだ。
これは1979年のアカデミー賞ドキュメント作品賞を受賞した作品を丸々Upしたものだ。まあ、こちらにとってはありがたい映像だ。
アメリカのヴァイオリニスト、アイザック・スターンが中国を訪れた時のドキュメント。
今から30年あまり前の中国の姿がある。
文革による音楽への影響がはっきり表れていて、驚く。
長い断絶の後、超一流の本物の音楽家の演奏に生で触れた驚きと歓びが伝わってくる。
さらにアイザック・スターンの音楽学生たちへのクリニックがとても大事なことを教えてくれている。
今の中国の姿と照らし合わせながら観るのも面白い。
1時間23分余りの映像だけれど、時間のある時にでもゆっくりご覧になることをおススメ
http://www.youtube.com/watch?v=Nb7z3Mtk9GM&NR=1
12.16
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YouTubeのお陰で貴重な演奏の映像をたくさん観ることができて、感動し、刺激を受けている。
今日はホロヴィッツがラフマニノフのピアノコンツェルトを弾いている映像を見つけた。
ホロヴィッツ74歳の時の演奏だ。 盛期はとうに過ぎているけれど、気迫溢れ、うた心に溢れ、音楽に没入仕切った演奏に圧倒され、最後には涙が溢れて来た。
思わず「ブラヴォー!!」と叫んでしまった。
凄いな、やっぱり。
http://www.youtube.com/watch?v=D5mxU_7BTRA&feature=related
12.18
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ドイツの作家ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を読んだ。
こんなに面白い作品はそんなにあるもんじゃない。
比較するのは適当ではないかもしれないけれど、私の好きなガルシア・マルケスの作品にどこか通じるものがある。
要するに私の心身に強力に響いた。
歴史をこういう形で描くという方法が憎い。
ドイツの作家にも色々いるもんだ。こういう人がいるんだ。
映画が評判だったのは知っているけれど、観なかった。
先にこうして原作を読んでしまうと、がっかりしそうで映画は観たくないけれど、グラス自身もシナリオに携わったというし、これがどう映画化されたのかかなり興味があるので、これからDVDを観てみることにする。
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今年最後の日記。
2010年11月(7件)
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11.28
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最近感銘を受けたYouTubeの画像を3つ。
『Brian Cox Master Class with Theo』。
http://www.youtube.com/watch?v=loDMRzPiCic
『マヤ・プリセツカヤの瀕死の白鳥』
http://www.youtube.com/watch?v=mpQZT_Ge9pg&feature=BF&list=PLAC667901F71CF40A&index=15
『Fred Astaire Puttin' On The Ritz』
http://www.youtube.com/watch?v=IFabjc6mFk4
一見何の脈絡もなさそうだけれど、そこから見つかることが たくさんある。
11.25
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色々なピアニストのベートーヴェンの『月光』をYouTubeで聴き
比べてみた。
いずれも巨匠と言われるピアニストばかりで、それぞれの個性 が光る。
子供のころ、家にあったルドルフ・ゼルキンのLPをよく聴いてい たので、私にとってベートーヴェンのピアノソナタはゼルキンの 演奏がすべてだった。
だから、YouTubeでウィルヘルム・ケンプの演奏を聴いたとき は、ある意味ショックだった。
確かにベートーヴェンのピアノソナタと言えばケンプ、というの はよく耳にしていたけれど、実際に聴いたことはなかった。
巨匠たちの演奏は華やかで、見事なテクニックで興奮させら れるけれど、ケンプの弾く『月光』はそういう演奏とは違うのだ。
まるで語っているようなのだ。そこにはピアニストではなくて、 ベートーヴェンの音楽、ベートーヴェンの肉声のようなものが 聞えてくるのだ。
ケンプの演奏を聴いた作曲家のシベリウスがケンプにこう言っ たそうだ。
「あなたのピアノからはピアニストの響きではなく、人間の響き が聴こえてくる。」 最高の賛辞ではないか。
たまらなくなって、すぐさまケンプの弾くベートーヴェンのピアノ ソナタ集のCDを買った。
あらためてじっくりと聴いてみた。
音楽のことを考えた。
「演奏は聴く人の心を動かせば、それで目的は果たせたのだ。」 というケンプの言葉どおり、私はとても感動した。
11.23
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南米からちょっと離れて、ドイツの作家たちの作品を読むこと
にする。
手始めにヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』を読んだ。
ロックグループ"ステッペンウルフ"がこの作品からバンド名 を取ったのは有名な話だ。
ヘッセ50歳の作品だ。その年齢で書かれたものを、今の自 分が読むことに意味もあるだろうと思って読んでみた。
これは小説というよりは、ヘッセの告白記だ。
ドイツ人、キリスト教信仰者、男性。という自分とはまったく かけ離れた人間の書いたものではあるけれども、共感でき るところもある。
苦悩からの脱却の方法も納得はできる。 それでも、何かイライラさせられる。
だからヨーロッパ人、特にドイツ人は好きになれないんだよ ね、という気にさせられる。
鈴木大拙の著作を読んだお陰なのだけれど、東洋の物の 考え方を少しは見習ったらどう?と言いたくなる。
もちろん、ヘッセは知ってはいるのだけれど、所詮ヨーロッ パの人間なのだな。
日本人であることに優越感を覚えながら読んでいた。
今の日本の現状は救いようがないように見えるけれども、 表面的なところではない、もっと根源的なところに救いがあ ると信じている。
ヘッセの作品から離れてしまったけれど、ま、いいか。
11.19
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アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短篇集を読んだ。
これまで読んできたラテン・アメリカの作家たちとは違う作風 で、私の好きなポーの影響も見られて、気に入った。
短篇でありながら、どの作品も読み終えると疲れる。どこか へ連れて行かれる感覚。
『追い求める男』という短篇は、チャーリー・パーカーをモデル にして書かれている。もちろんパーカーの伝説本ではないし、 ジャズ史の断片を書いたものでもない。
それでもそこにはパーカーが描かれているし、クリエイティブ なアーティストの苦悩が語られている。
読んでみる価値はある。
この作家の傑作と言われている『石蹴り遊び』という本を読ん でみようかと思ったけれど、作品紹介を見たら、ジョイスの 『ユリシーズ』風な実験的作品と書いてあった。
また、『ユリシーズ』か。ちょっと敬遠だな。
11.16
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引き続きバルカス・リョサの大作『世界終末戦争』を読んだ。
ペルー人のバルガス・リョサが1897年にブラジルで起きた カヌードスの反乱をテーマに書いた作品だ。
数え切れない多様な人種の老若男女が入れ替わり立ち替 わり登場し、それぞれの人生が物語られ、さらに戦場とな った地形が生々しく描かれ、本のページから血や汗や埃り やなにやらが噴き出してくるようだ。
このエネルギーと文章の力には凄まじいものがある。
長い時間この本に付き合い、こちらもエネルギーを使って 相対するわけで、ヘトヘトになった。
音楽に関わっている人間にとっては、ブラジルという国は、 ブラジル音楽を通じて少しは親近感があるのだけれど、こ の作品を読んで、未知のブラジル、ブラジルの暗部を初め て知った。
またひとつ勉強になった。
11.7
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バルガス・リョサの『若い小説家に宛てた手紙』を読んだ。
これは、小説家志望の若者から来た手紙への返信という 形を取った、小説論だ。
具体例として出てくる作品の多くが、読んだことのあるもの だったおかげで、とても親近感を覚えた。
なるほど、と感心もし、また読書案内としても役だって、読 んでみようと思う作品も数多くあった。
しかし、この本は、『若いジャズミュージシャン(ジャズシン ガーでもいいけど・・・)に宛てた手紙 』と考えてもいいじゃ ないか、と思えるほど、実に教示に富んだ内容なのだ。
若くなくたって、何年音楽やってる人間だっていい。
読めば、あまりにも共通したことが書いてあって、ドキッと するに違いない。
もしこれを読んでもドキッとしなければ、その人は既に相当 なところまで行っている人か、 さもなければ、よほど鈍感で、 少なくともクリエイティブな音楽をやるには向いていない人 だろう。
ある意味、ジャズをやってる人間にとっては、リトマス試験紙 的な本だと言える。
面白い。
11.04
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ノーベル文学賞を受賞したバルガス・リョサの『緑の家』を読
んだ。
以前『楽園への道』 のことは書いた。
『緑の家』 は、まるでジグソー・パズルのような作品だ。読み 始めた途端に混乱してくる。
いくつもの物語が、時代も場所も前後し、交錯し、同じように 文体もごちゃごちゃしている。少しも整然としていない。
けれど読み終わると、全体像が鮮やかに浮かび上がってき て、しかもスケールが大きい。
私の大好きなガルシア・マルケスもそうだけれど、この力技 のような文体と、そして物語性が魅力だ。ラテン・アメリカ作家 の特色なんだろうか。
しかし、複数の人間の人生と複数の土地の絡まりと長い時間 が生む変化とを表すのには、この文体しかないような気がす る。
作品の内容、そのムードに合致した文体を考え出すことこそ 作家の創造的な仕事なんじゃないだろうか。
それは、私自身のやることにも当てはまるのだ。
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最近感銘を受けたYouTubeの画像を3つ。
2010年10月(8件)
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10.23
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アフガニスタン生まれのカーレド・ホッセイニの『君のためなら
千回でも 』を読んだ。
タイトルは気に入らなかったけれども、相変わらず帯の文句 にミーハー的に乗って、買ってみた。
「世界で1,000万部売れた。全世界が涙に濡れた。」 で、泣きながら読んだ。
平和だった時代から2002年までのアフガニスタンを舞台に ストーリーは展開する。
ニュースでしか知らないあの国に対して、そこで生きている 人間のドラマを見せられることで、生な感情を呼び起こされる。
そして、そこに描かれる人間の罪深さや愛情や悲しみは、ど こかで知っているような気がするのだ。
だから、どうしようもなく泣けてくる。
原題の"The Kite Runner"(凧追い)に込められた思いに胸 がつまる。
何の脈絡もなく読みつないできた『ビラヴド』『夜と霧』そして、 『君のためなら千回でも』だけれど、こうやってみると、読むべく して読んだのだな、という流れを感じる。
苦しみや悲しみを経験した人間がみせる深い思いやりと洞察 力に頭が下がる。
そして、自分を省みる。
10.20
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ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読んだ。
日本語での初版は1956年、霜山徳爾氏の翻訳によるものだ。
この本の存在は知っていたけれど、恥ずかしながら読んだこ とはなかった。
今回読んだのは、池田香代子氏による新訳本だ。
この本が世代を超えて読み継がれてほしいということでの、 新訳本の出版となったらしい。
ナチのユダヤ人強制収容所を体験した心理学者による体験 記だ。
収容され、生き残り、解放されるまでの心理状態を克明に記 している。
ここに書かれていることは、歴史的事実だけではなく、人間と は何かという根源的な問いかけとその答えだ。
そして、比べるようなものではないけれど、それでも、自分の 人生への大きなヒントも得た。
『ビラヴド』もそうだったけれど、この本も多くの、特に若い世 代のひとたちに是非読んでほしい。
10.18
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引き続きトニ・モリソンの『ビラヴド』を読んだ。
この本に出会ったことに感謝したい。
作者はこの本を書かなくてはいけないという使命感を負って いたに違いない。
『ソロモンの歌』で伝えたことが、より濃く、よりはっきりと書 かれている。
伝えなくてはいけないことを、伝える。
みんなが忘れかけていること、みんなが忘れようとしている ことを伝える。
「自分たちはどこから来たのか。自分たちは誰の犠牲の元 にこうして存在しているのか。それを忘れてはいけない。」
今のアメリカの若い黒人たちにトニ・モリソンは懸命に語りか けている。
日本人である私たちが読む意味もある。少なくともジャズ音楽 に関わる人間には意味がある。
ジャズはもはや黒人音楽ではない。
けれども、ジャズ創世期の黒人ミュージシャンたちの心の中 にあったに違いないアイデンティティの確立への思いを知らず して、音楽上のあれこれだけを追求するのは、皮相的すぎる。
ビリーや、エラや、創世期の黒人女性ジャズシンガーたちの心 の中を想像するための手がかりとしても、この本は是非読んで ほしいと強く思う。
10.15
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トニ・モリソンの『ソロモンの歌』を読んだ。
相変わらずの無知ぶりで、この人がアフリカン・アメリカン女性 作家で、ピュリッツァー賞、ノーベル文学賞受賞作家だという こと、そもそもこの作家の存在すら知らなかった。
この作品を読んだのも本屋をうろついていて、「オバマ大統領 が人生最高の書に挙げる」という宣伝文句につられたからだ。
しかしきっかけはどうであれ、いい本に巡り会った歓びは本当 で、慈愛に充ちた、心に響く作品に気持ちが落ち着いた。
女性でなければできない表現には、知らず知らず泣けてきた。
そして尚且つ、フォークナーや、ガルシア・マルケスを思い起こ させるストーリーの組み立ての上手さ、スケールの大きさにも 感服した。
もう一冊買った『ビラヴド』 を早速読み始めよう。
10.10
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どうも悪い癖が出ている。ミステリー小説から抜けられない。
マイケル・バー=ゾウハーの『ベルリン・コンスピラシー』を読ん だ。本屋でうろついているときタイトルに惹かれて買った。
この作家のことは知らなかったけれど、いわゆる「ナチもの」の 傑作を書いているらしい。
この作品も「ネオ・ナチ」を取り上げていて、十分にリサーチし ていることを窺わせる内容だ。
エンターテイメントとして楽しみながら、ユダヤ人の復讐、ネオ・ ナチの台頭、現在の欧米、中東の政治構造などを知ることが できて、なかなか面白かった。
ノンポリの私も、覗き見的好奇心をくすぐられて、 「へえ、こういうことがあるのかあ・・・」
などと肯きながら読み進んだ。
世界はコンスピラシーだらけなわけだ。
とすると、この小説だって、何らかのコンスピラシーの元に書か れているかもしれないわけだ。
なんてのは、穿ち過ぎ?
10.07
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というわけで、ハードボイルド小説の代表的作品、レイモンド・
チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読んだ。
私立探偵フィリップ・マーロウもの。
今回惜しくもノーベル文学賞を逃した村上春樹が翻訳したと いうことで話題になったらしい。
それまでは映画の字幕スーパーでお馴染みだった清水俊二 の翻訳による『長いお別れ』が読まれてきたらしい。
新旧の翻訳対決と村上春樹ということが話題性を読んだんだ ろう。
しかし、私にとっちゃどうでもいい。清水翻訳も読んでいなけり ゃ、村上春樹にも関心ない。
とにかく今回読んだ『ロング・グッドバイ』が面白かったかどうか だけだ。
で、面白かった。
長いけれども、飽きない。淡々としている調子が気に入った。
とは言っても、追いかけようとまでは思わない。
10.03
-
ちょっと気分転換がしたくて、またミステリー小説に手を出し
てしまった。
そうは言っても今回のはハードボイルド。
ジョージ・ペレケーノスの『変わらぬ哀しみは』。
原題は"Hard Revolution"だからこの日本のタイトルはどう かと思う。
この作家のことは初めて知った。またまた本屋の本棚にあ った宣伝文句につられた。名だたる推理作家たちが大絶賛 する作家ということで、その中には私の好きなT.ジェファー ソン・パーカーも入っていた。そんなわけで読んでみた。
これがよかったのだ。私好みのテイスト。
キング牧師が暗殺された年のワシントンD.C.が舞台だ。
社会状況、黒人と白人の対立、車、そして音楽についても 詳しく書かれている。
よくリサーチしていると見えて、中味がしっかりしている。
味わい深い内容だ。
本を買うときは、どうしてもついでにあともう何冊か、と思って しまい、ハードボイルドつながりで買った本については、また。
10.02
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横濱国際インプロ祭@エアジン無事終了。
インプロ初体験を楽しんだ。
集中力、瞬発力、想像力、創造力、包容力。
そのすべてが必要だ。
そして引き出しの多さも。
狭い世界にいてはいけない。
どれだけのことができるか、挑戦しなくては。
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アフガニスタン生まれのカーレド・ホッセイニの『君のためなら
千回でも 』を読んだ。
2010年9月(10件)
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09.27
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ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』を読んだ。
ヘンリー・ジェイムズの初期の作品『デイジー・ミラー』の系統 の作品だ。
なんとも不可思議な作品だ。すべてが曖昧で、暗示的で、わ かったような、わからないような、そんな気分にさせられる。
様々な登場人物の心理戦を、こちらも想像力を働かせて読み 進んでいくことになる。
しかし、よく考えてみると、これがリアルな人間関係なのだ。 はっきりと断言できることなど、人間関係にはないのだ。
それにしても、この作家の作風は独特だ。ハマる人はハマる んじゃないだろうか。
09.20
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興味が湧いたので早速レ・ファニュの短編を3作読んだ。
『アイルランドのある伯爵夫人の秘めたる体験』『タイローン 州のある名家の物語 』『夢』。
アイルランドという土地が持つ独特のニュアンスがどの作品 にも溢れている。
不思議ではあるけれど、『タイローン・・・・』は『ジェーン・エア』 に似ている。
ディケンズが大絶賛したという『ワイルダーの手』という作品を 読みたいと思ったのだけれど、ネットで探したら高かった。
かといって図書館で借りるという手間が面倒だ。なので、今回 はパス。
09.19
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脳が飽和状態で、どうにも動きが取れず、ボーっとしてきた。
そんな状態で手にしたマックス・エルンストの『慈善週間また は七大元素 』を読んだ。
この本は以前買って読んだものの、なんだかさっぱりわから ずに放っておいた。
シュルレアリズムの代表的な画家だ。この本は不思議で、 絵なのだけれど、小説として読むべきだという。
ボーっとした頭で読むというか、眺めていると、以前には見え なかったものが、ぼんやりながら、見えてきた。
これこそが彼らシュルレアリストたちが目指していたものなの かもしれない、とぼんやりながらわかってきた。
そして、やはりぼんやりながら、自分のやるべきことはこうい うことなんじゃないか、というようなことが見えてきた。
それはもちろん「シュルレアリズム」とは関係ないけれども、 「こっちだよ」という道標のようなものがうすぼんやりと見えて きた。
どんなきっかけで、どんなタイミングで重要な出会いがおきる のか予測がつかない。
人生は不思議だ。
09.17
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『怪奇小説傑作集』を読んだ。
怪奇幻想文学の入門書として読み継がれてきたらしい。
特に怪奇小説が好きというわけじゃないけれど、エドガー・ アラン・ポーつながりで読んでみた。
入門書というだけあって、いずれも傑出した作品ばかりだ。 いずれも上手い。それが特色でもある。
ディケンズや、ヘンリー・ジェイムズや他の作家たちが絶賛 しているというレ・ファニュという作家の作品に興味が湧いた ので、読んでみようと思う。
意外な分野にハマりそうで、ちょっと不安。
09.15
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岩波文庫でヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転/デイジー・ミラー』
を読んだ。
『デイジー・ミラー』もいい作品だけれど、『ねじの回転』がとにかく 面白かった。いわゆる幽霊譚なのだけれど、いやいや一筋縄じゃ 行かない作品だ。
読み手の想像力を掻き立てる。
この作品の解釈は世界中で無数にあるらしい。肯ける話だ。
私は妄想逞しく読ませてもらった。下世話な人間らしく、下世話 な解釈となった。
読んだ人それぞれの解釈がありそうで、どんな風に読んだのか 聴いてみたいものだと思った。
09.13
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もう読むのはよそうと思っていたのに、また推理小説を読ん
でしまった。
ミステリー小説の古典的名作と言われているウィリアム・ アイリッシュの『幻の女』 。
これは読んでおくべき、という宣伝文句につられた。
それでも、読んで損はなかった。やはり上手く出来ている。
私の選ぶミステリー小説ベスト3には入らないけれど。
私のベスト3は、
アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』
トマス・H・クック『夏草の記憶』
アイラ・レヴィン『死の接吻』
どれもしびれた。
もし読んだことがなければ、是非オススメ。
09.12
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久しぶりにジネット・ヌヴーのヴァイオリンを聴いた。
しばらく封印していた。聴くのが怖かったからだ。自分のダ メさ加減を思い知らされそうで、逃げていたというわけだ。
最近ちょっと面白くないことが続いて、凄い音楽を聴きたく なり、それにはジネットしかないだろう、ということで、CDを 取り出した。
やっぱり泣いた。
私が音楽に求めているのはこれだ、というほとんどすべて がそこにはあるのだ。
私は「音楽」が聴きたい。私が考えている「音楽」が聴きたい。
そうじゃないものを聴くと腹が立つ。不愉快になる。情けなく なる。時間を無駄にした、耳が腐る、魂が穢れる、と感じる。
こんなものを聴くために私は生きているわけじゃない、と思う。
そういう音楽をやっている人間は、私の人生には関係のない 類の人間なのだ、と思う。
不遜と言われても構わない。私は自分の耳を信じる。
上手い、下手の問題じゃない。
「それ」があるか、ないか、の問題だ。
「それ」が無ければ、意味は無いのだ。
「それ」とは何か。
それは、言えない。
09.09
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また推理小説を読んでしまった。
スウェーデンのラーシュ・ケプレルという作家の『催眠』。
この作家、実は両人とも作家である夫婦の共作用の名前だ そうで、この作品が共作としてのデビュー作になるらしい。
それぞれが純文学の分野で評判になる作品をいくつも書いて いるというだけあって、この推理小説は貫録のある出来上がり だ。
うまい、と言っていいだろう。
これはきっと映画化されるんじゃないかと思う。そういうことを 見込んで書いたんじゃないかとも思える。
しかし、もう推理小説を読むのはやめなくては。
09.07
-
また推理小説本を買ってしまった。
マイケル・シェイボン作『ユダヤ警官同盟』。 評判になった作品らしい。
時代は現代だけれども、歴史を改変し、架空のユダヤ人の ための特別区を設定し、そこでおきた殺人事件をユダヤ人 の刑事たちが追うということになっている。
推理小説とはいえ、おかげでユダヤ人について少しばかり 勉強になった。
この作品はコーエン兄弟によって映画化されるそうだ。
コーエン兄弟がユダヤ系だということを考えると肯ける流れ だ。
どんな風に料理するのか、また配役はどうなるのか、など 想像しながら、映画の出来上がりを待つのもいいもんだ。
09.03
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メキシコの作家フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』を読んだ。
スペイン語圏の作家や批評家100人へのアンケートで、ラ テンアメリカ文学の最良の作品としてトップの座を分け合っ たのが、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』とこの作品 だったという。
どちらの作品も神話的要素がある。
この作品は短いけれども、構築力が見事で、ダイナミック だ。
不思議で、だまし絵のようでもあり、全体を哀しみのトー ンが貫く。
やはりヨーロッパの文学とは趣が違う。
また読んでみたくなる魅力を持った作品だ。
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ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』を読んだ。
2010年8月(6件)
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08.30
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『グラーグ57』も面白かった。
で、はまりついでにジョン・ハートの『川は静かに流れ』と
『ラスト・チャイルド』を続けて読んだ。
家族の崩壊と人間の過ちと、そして希望。
どちらの作品もミステリー小説というだけではなく、小説 としても秀作だ。どちらもおススメ。
トム・ロブ・スミスの作品がスターリン体制時のソ連を描き、 このジョン・ハートの作品が現代のアメリカの田舎町を描い て、対照的であるのに、どちらもテーマは家族の絆だという ところが興味深い。
さて、もう一作宣伝文句につられて買った作品を読むとし よう。『P 2』 。
08.26
-
ミステリー小説を読みだすと、一種中毒症状のようになる
傾向があるので、なるべく読まないようにしていたのに、
本屋の中をうろついていたら、ついつい
「このミステリーが凄い第一位!」
などというような宣伝文句に踊らされて、まとめ買いしてし まった。
で、まず読んだのが『チャイルド44』という作品。
イギリスのトム・ロブ・スミスという人が2年前29歳のときに 書いたもの。
これが、なんとも面白かった。私好み。超オススメ!
舞台は1950年代のソ連で、よく調べたと見えて、当時の ソ連の状況もしっかり描かれていて、骨太だし、けれども デリケートなところもあり、ストーリー展開がうまく、抑制の きいたトーンがいい。
ロシアでは発禁書だそうだ。肯ける内容だ。
リドリー・スコットが映像権を獲ったというから、映画化が 楽しみでもある。
こうなると続編も読みたくなるわけで、『グラーグ57』をこれ から読もうと思っている。
08.22
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このところ重めのものを読んでいたので、気分転換に、
エドガー・アラン・ポーの短編集を読んだ。
もちろん、ポーの作品が軽いというわけじゃあない。
今回読んだ短編集には、『黒猫』や『モルグ街の殺人 事件 』が入っていて、探偵物としては、『盗まれた手紙』 が面白かった。
私の好みとしては、もう一冊持っている短編集に入って いる『アッシャー家の崩壊』 や『リジイア』などだけれど、 それでも、やはりポーの作品はどれも好きだ。
読み終わると、あまりもの見事さにゾクゾクし、ため息 が出る。
見事で、精緻で、美しい。
自分に無いものへの憧れかもしれない。
08.18
-
スペイン映画ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』
のDVDを中古で手に入れた。
稀少品だということで、定価の倍の値段だった。
それでもこれは手元に置いておきたかった。
仲間のミュージシャンに「きっと気に入る。」と言われて 観たのはもうずいぶん前になる。
なるほど、そのとおりで、忘れられない作品となった。
それ以来本当に久しぶりに観たけれど、あらためて深い 感銘を受けた。
映画には映画にしかできない表現があるはずだ。
そういう作品に出会うと、幸せで恍惚となる。 『ミツバチのささやき』もそういう作品だ。
静的で詩的な映像の美しさは比類ないものだ。
この監督の『エル・スール』ともども、まだ観たことがなけ れば、お薦め。
08.12
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両親の墓参りに行って来た。
何一つまともに大人らしいことのできない自分も、これだ けは続けている。
墓前で手を合わせ、ほっと胸をなでおろす。
「なんとかやってます。」
08.08
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しばらくご無沙汰してしまった。
この間にも何冊も本を読んでいた。
私の人生に大きく作用するほどの重要な本との出会い だったので、それらについて何か書くこともできずにいる。
簡単にまとめて言えるような心境ではない。
私の中で厳しく反芻してみなくてはいけない。
そういう時期に来たということだ。
わかるには時間がかかるのだ。
-
『グラーグ57』も面白かった。
で、はまりついでにジョン・ハートの『川は静かに流れ』と
『ラスト・チャイルド』を続けて読んだ。
2010年7月(5件)
07.24
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哲学者九鬼周造の『「いき」の構造』を読んだ。
「いき」とはなんぞや、ということを様々な角度から分析、 検証している。
こんなことを大真面目に論じているところが、おかしくて 仕方ない。
この人の生い立ちや、ヨーロッパでの生活がこういうこ とに着目させることになったらしい。
なるほどと感心する内容だ。
けれども、鈴木大拙の書いたものを何点か読んだ後で は、いかにも能天気な学者の論文という感じだ。
まあ、それはそれでいいんだろうけれど。
07.22
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鈴木大拙の『一禅者の思索』を読んだ。
仏教徒、特に禅僧に対する苦言のようなことが書かれてい るのだけれど、そのほとんどが、私が末席を汚している日本 のジャズシーン、ジャズミュージシャン、さらに言えば日本の すべての音楽界にあてはまるのだ。
よく考えなくてはいけない。本当によく考えなくてはいけない。
07.16
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鈴木大拙の『東洋的な見方』を読んだ。
ぶらりと本屋に立ち寄って、ふと目に止まったのだ。
縁とはそういうもので、読むべき時に読むべき本に出会った ということだろう。
世界人大拙が90歳を超えてからのエッセーを集めたもので、 1960年代前半に書かれている。
50年を経た今、世界情勢、日本国内の情勢も変化している とはいえ、大拙が説いていることは、少しも古びていない。
それどころか、今の時代、その説の意味はますます大きい と言える。
そして、この私自身にとっても、これからの人生、これから の音楽人生を考える上で、大きなヒントになった。
日本人としてやるべきこと、できることがあるはずだ。
07.09
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10月にフィンランドのミュージシャンと共演することになった
ので、これを機にひとつフィンランドの作家のものでも読んで
みようかと思った。
そうは言っても、この国の作家については全く知らないので、 ネット検索して、最初にひっかかった作家の作品を選ぶこと にした。
ということで、レーナ・クルーンという女性作家が2009年に 書いた 『偽窓』を読んだ。
この人は哲学者でもあるらしく、なるほど、作品は哲学的 尚且ファンタジックな内容だ。
時々自分でも考えることがある問題について、柔らかい 態度で書いてあって、そこに共感を覚えた。
今を生きている他国の作家の物の見方、考え方に触れる ことができたのは、いい経験だった。
07.04
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というわけで、ペトロニウス作『サテュリコン』を読んだ。
ユイスマンスが絶賛するだけのことはあって、とんでも ない、呆れ返るような作品だ。
紀元65年ごろ、今から1,900年以上昔に書かれた、 「悪の華」ともいうべき非道徳的なピカレスク小説だ。
あのローマ皇帝ネロを喜ばせるために書かれたらしい のだけれど、いかにもネロが好みそうな内容だ。
作品の大部分は損傷がひどく、現存するものはごく一 部分らしい。それでも、十分面白いのだ。
1,900年前と言っても、考えてみればわずか1,900年な のだ。どうやら本質的には人間はあんまり変わってい ないようだ。
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哲学者九鬼周造の『「いき」の構造』を読んだ。
2010年6月(6件)
06.29
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ユイスマンスの『さかしま』を読んだ。
はっきり言えばよくわからない。
つまり、書かれている文学作品や、花や色彩やら嗜好品 やらについての知識が私にはほんとんど皆無だから、そ の内容についてどんな反応もできないのだ。
ただ、これだけの教養を持ち、これだけ徹底的に追及し、 時間と金をかけ、そして結局厭きてうっちゃってしまうと いう主人公の生き方、つまりユイスマンスの生き様が、 可笑しくてたまらない。
この小説を翻訳したのは澁澤龍彦だ。その翻訳を絶賛 したのが三島由紀夫や石川淳といった人たちで、澁澤 龍彦曰く、この小説を堪能する人は物好きで奇特な人 なのだそうだ。
まさしくそういう小説だ。
残念ながら私には堪能するだけの素養がない。
それでも、小説の中で称賛している作品はどれか読ん でみたいという好奇心はおこったので、まずは古代ロー マに書かれたという『サテュリコン』を読んでみようかと 思う。
06.28
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『七人の侍』をDVDで観て、あまりにも感動して、その
制作過程を知りたくなり、都築政昭『黒澤明と七人の
侍 』という本を読んだ。
今まで『七人の侍』を観たことがなかったというのは、 そもそも恥ずかしいことなのだけれど、今の時点で 観たからこそ感動し、刺激を受けることができたとも 言える。
とにかく私が言うまでもなく、これは「映画の中の映画」 で、世界の映画史上のベストワンだろう。
こういう映画がどれだけの時間や労力をかけて作られ たのか、完全主義者の黒澤明のその完全主義ぶりは どんなものだったのかが、この本から伝わってくる。
全身全霊をかけるというのはこういうことかもしれない。
あの映画からはそういうものが伝わってくる 。
生半可な情熱や心意気では、人の心や体を打ちふる わせるような作品を完成させることはできないというこ とを、思い知らされた。
06.24
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中国の作家莫言の『赤い高粱』を読んだ。
映画『紅いコーリャン』の原作だ。映画は観ていない。
ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に衝撃を受けて 書いたという。
なるほどと肯ける作品だ。
野性と本能と色彩が荒々しいエネルギーによって、 文中で乱舞している。
時間の交錯や構成という点では、誰かの模倣の ようでオリジナリティは感じられないし、緻密さや 逆にダイナミクスにおいても、物足りないところが あるけれど、題材そのものが衝撃的で、そこにオ リジナリティがあって、面白い。
それは決してヨーロッパ的ではなく、南米的でも なく、もちろん日本的でもなく、あくまでも中国の 土壌と歴史と生活が生み出した独自のものなのだ。
今から30年ほど前に、自分と同世代の人間がこうい う作品を書いたと考えると、思うところは多々あるの だ。
06.21
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鬼門のような小説『ユリシーズ』への前哨戦として、ジョイス
の『若い芸術家の肖像』を読んだ。
丸谷才一が翻訳している。名訳なのだそうだ。きっとそうな のだろう。
有り難く読むべきなんだろう。20世紀の世界文学史におい て重要な意味を持つ作家の作品。
この作家の創り出した文体。いわゆる「意識の流れ」。
何かを創り出す。無から有を生み出すことの苦しみは少し はわかるつもりだ。だから、そのこと自体に敬意を表する。
しかし、どうもジョイスとの相性は悪いようだ。
「お前のキャパじゃ無理。お前の能力じゃ無理。」 と言われているようだ。
この分じゃ、『ユリシーズ』には手が出そうにないな。
非常に疲れた。大人が読むような作品じゃないな。学生 時代に読んでおくべきだったかな。
06.14
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すっかり本を読むペースが落ちてしまった。
その間にDVDを観まくっている。
近所に中古DVD屋を見つけて買いあさっているのだけれ ど、だいたいが6年以上前の作品だ。
それでも掘り出し物もあったりして楽しんでいる。
とにかくデンゼル・ワシントンにはまってしまって、片っ端 から観ている。
作品自体はつまらくてもデンゼルの演技でもっているもの もある。
中でも『トレーニング・デイ』の演技は凄まじかった。オスカ ーを獲ったのも当然だ。あの集中力、画面から伝わってく るエネルギーは桁外れだ。
観ているだけで、こちらも元気をもらっている。
それこそ映画を観る理由でもあるし、音楽をやる人間とし ては、自分もまたそうあるべきだと、改めて思うのだ。
06.06
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懲りずにミシェル・ビュトールの作品を読んだ。
『心変わり』という1957年に書かれた作品だ。
これは結構気に入った。
小説を書く意味を自分に問いながら、過去の偉大な文学 作品とは違う方法を模索している姿が浮かんでくる。
それはおこがましくも言わせてもらえば、私自身の問題 にも通じる。
そこに共感するわけだ。
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ユイスマンスの『さかしま』を読んだ。
2010年5月(8件)
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05.30
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読むペースが落ちた。なかなか進まなかったフランスの
作家ミシェル・ビュトールの『時間割』。
挫折したジョイスの『ユリシーズ』を思い出してしまった。
ギリシャ神話が関わってくる。
こうなるとほぼお手上げだ。
それでも、思考は時間と空間を超えて、自在に飛び回り これまでの時間をすべて結びつけることができる、という ことは理解できる。
ほとんど使っていない思考回路をフル稼働させなくては いけなかったわけで、いい鍛錬にはなったかな。
05.20
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ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』を読んだ。
言わずと知れた、あの「ロリータ」だ。
先入観とは恐ろしいもんで、どうせエロ小説だろう、くらい に思っていた。何故読んだかと言えば、文庫本の案内 ページでこの作品をベタボメしていたからだ。
で、読んでみて、いやはや恐れ入った。というより、敬服 した。そして、最後には泣けた。悲恋の物語としても読め るのだ。
それにしても大した作品なのだ。
巻末の解説を大江健三郎が書いていて、そこで 「野心的で勤勉な小説家志望の若者に私は、小説勉強 にこれ以上ないテクストとして『ロリータ』をすすめてきた」 と言っている。
この作品は幾通りもの読み方、楽しみ方ができるだろう。
何度でも読み返したくなるような力を持っている。
もちろん、やはり、この作品は英語で読むべきだろうし、 そうでなければ、本当の面白さはわからないだろう。けれど も、今回この作品を読んで凄いなあと思ったのは、この翻訳 で、若島正氏の本気度、熱情がハンパではなく、原文と比べ てもいないのに、こんなことを言うのは軽率だけれども、見事 な仕事をしたんじゃないだろうか。
そうそう、またまたこの作品にもジョイスの『ユリシーズ』 が 登場してきて、つくづくこれは避けては通れないんじゃないか、 聖書、シェークスピアと同じように、一度は読んでおかなけれ ば、話が通じないってことなのか、と思い、ちょっと気が重く なったという次第。
05.19
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アルベルト・モラヴィアの『無関心な人びと』を読んだ。
モラヴィア21歳の作品だ。
21歳でこんなものが書けるのか。凄いことだ。
既にその後の作品に通じるテーマが提示されている。
それにしても21歳!
だいたいこういう人は早世するかと思っていたけれど、 83歳まで生き、晩年まで書き続けている。
あと1作品読んでみたい。
05.13
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マルグリット・デュラスの『ラホールの副領事』を読んだ。
モラヴィアと同じように、彼女の作品にも惹かれて、他 にいくつか読んでみたくなったのだ。
不思議な作家だ。
映画監督でもあるというのが関係しているかもしれない。 映画のシナリオを読んでいるように感じる。
「狂気」と「孤独」が作品中を駆け巡る。そしてその迫力 が心地いい。
どういう縁でこの作家に出会ったのか、それも不思議な 気がしている
。 それにしても、これで自分の惹かれる傾向がほぼはっき りしてきたってことだ。
引き続いてマルグリット・デュラスの『モデラート・カンター ビレ 』を読んだ。
彼女が44歳の時の作品だ。
『ラホールの副領事』や『愛人』と比べると、まだわかり 易い文体だけれども、すでに後の作品のテーマの発芽 が読みとれる。
やはりそこには「狂気」への入り口が見える。
彼女の作品には映画化されたものが多い。
私はどれも観ていないけれど、きっとがっかりするに違 いないと思われるから、観ない。彼女自身、相当腹を立 ててるらしい。
この『モデラート・カンタービレ』 も『雨のしのび逢い』 な んてタイトルで、ジャンヌ・モロー主演で映画化されてい る。タイトルは日本のものだからまた話は違うけれど、そ れにしたって、ブルジョワの人妻と労働者の若い男との 短い逢瀬の物語、みたいなニュアンスが漂っていて、と んでもないことだ。
この作品はそんな陳腐な内容とはまったく質が違う。も っと根源的で深い。名作だと思う。
05.11
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アルベルト・モラヴィアの『軽蔑』を読んだ。
この作家の『倦怠』が気に入って、他の作品も読んでみ たくなった。
で、この作品もやはり面白かった。
観察記録のように、徹底的に探究するその冷めた目が いいのだ。
もちろん翻訳だから、本当のところはわからないけれど、 文章の運びが上手い。
取りあえず、すぐ手に入るのがあと2作見つかったので、 早速購入したいと思う。
そうそう、文中にジョイスの『ユリシーズ』について触れて いるところがあるのだけれど、この部分は読みながら、 少々苦い思いを味わった。挫折して途中で投げ出した 本なのだ。
いまだに机の上に山積み状態で放置されている。見る 度に、気が重くなる。いつかまた挑戦するべきなんだろ うけれど、果たしていつになることやら。
05.09
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フランスの作家、マルグリット・デュラスの『愛人・ラマン』
を読んだ。
彼女が70歳のときの作品だ。
彼女の作品をこれまで読んだことがない。彼女について は何の知識もない。
あいかわらず翻訳本を読んでいるわけで、この作品も、 もしフランス語で読めたら、もっと深く入り込めたように 思える。つまり、文章のリズム感が独特に違いないから だ。
それでも、私は共感した。
女性でなければ書けないだろうけれど、それより、彼女 でなければ書けないと言うべきだろう。
鎧をとっぱらって、本当の自分を語り、しかも客観的で ある。その乾いた感じがたまらなく好きだ。
私は湿り気が嫌いなのだ。乾いているのが好きなのだ。
そこに惹かれるのだ。
05.06
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イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの『倦怠』を読んだ。
私には非常に面白かった。
非常に冷めた目で、人間を徹底的に観察、探究していく その技法に魅せられた。
嫌味を感じさせない。
そして、共感させられる。
こういう作品に出会うと、本を読んでいてよかったと、つ くづく思う。
05.03
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グレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』を読んだ。
これはこれまで読んだグリーンの作品とは違って、い わゆるスパイ小説だ。それもただのスパイ物ではない。
やはり文学なのだ。
とにかく読みだしたら止まらない。上手い、面白い。
筋書きそのものもそうだけれど、それ以上に人物描写 が素晴らしい。密度が濃い。
作品を貫く哀調がいい。 これはオススメ。
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読むペースが落ちた。なかなか進まなかったフランスの
作家ミシェル・ビュトールの『時間割』。
2010年4月(10件)
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04.28
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引き続きグレアム・グリーンの『情事の終り』を読んだ。
キリスト教のパラドックス、愛のパラドックスがテーマ の作品だ。
上手いのだ、とにかく。
ただ私には共感できない作品だ。つまり、「神」「キリ スト教」に対して頭で理解しようと努力しながら読み 進んだところで、ようはよくわからないのだ。
本当に残念ながら、よくわからないのだ。
なんで、そういう思考に至るのかが、よくわからない のだ。
でも、作品としては実に上手く出来てるのだ。
なんだかもやもやとするのだ。
04.24
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グレアム・グリーンの『権力と栄光』を読んだ。
なぜグレアム・グリーンかと言えば、ガルシア・マルケス と交流があったから。
グレアム・グリーンの作品はこれまで読んだことがなか った。
この人の原作による『第三の男』 は観たけれど。
『権力と栄光』はいわゆるカトリック作品だ。
私は全くの無宗教な人間だから、この小説に宗教的な 感動は覚えなかったけれど、あくまで人間のドラマとし て読んでみても、読み応えのある内容だし、スリルの あるエンターテイメント作品としても存分に楽しめた。
とにかく上手い。
人間を鋭く見抜く冷めた目がいい。
もう少しこの人の作品を読んでみようと思う。
04.22-2-
-
トルーマン・カポーティの短編集を読んだ。
なぜカポーティかと言えば、ガルシア・マルケスが 『ミリアム』を称賛したというから。
で、なるほど、上手い、面白い。
『夜の樹』もいい。
どこちらもカポーティが21歳の時の作品だというか ら驚いてしまう。
その他の短編も上手い。読ませる。
根底に流れる孤独感や異常性が心に迫ってくる。
そういえば、カポーティの映画を観ていないな。
トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」で悪役 やってた俳優がカポーティ役でオスカー獲ったんだっけ。
04.22-1-
-
ガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』
を読んだ。
これは川端康成の『眠れる美女』からアイディアを得て 書いた作品だという。
しかし、この2つはその性質が正反対だ。
日本人対ラテンアメリカ人、ということか。
陰と陽。
きめ細やかさと大胆さ。
閉と開。
暗と明。
とでも言うか。
ガルシア・マルケスらしく、いかにもエネルギーのある 恋物語だ。
川端康成の『眠れる美女』は恋物語ではないからな。
04.19
-
ガルシア・マルケスの『愛その他の悪霊について』を読ん
だ。
これまで読んできたガルシア・マルケスの他の作品に比 べると、少し趣が異なるかもしれない。
これまでの作品がどれも力作だとすれば、これは佳作と いえばいいか。
それでもこの人独特の世界は変わらない。
生と死、愛と孤独。
惹かれる理由はそこにもある。
04.16
-
ガルシア・マルケスの『迷宮の将軍』を読んだ。
やはり惹きこまれる。
何故こんなに惹かれるんだろう。
今回は巻末にガルシア・マルケスへのインタビュ ーも載っていた。
それを読むと、少し謎が解けたように思う。
つまり、創造と想像の関係。
そして、日常と超自然のバランス。
書くことへの熱情と忍耐と誠意を知って、勇気と 希望をもらった。
自分の甘さを痛感する。
04.13
-
カフカの『変身』を読んだ。
これで何度目になるだろう。
今回また読んでみようと思ったのは、ガルシア・マルケス が自分が最も影響を受けた作品だと書いているのを見た からだ。
もちろん、この作品、そしてカフカに影響を受けた作家は 世界中にたくさんいる。
それほど強烈で、見事で、これだけの短編はなかなか ないだろう。
いったい何を言おうとしているのだろうという謎解きのよ うな面白さもある。
この変身は何を意味するのか?
ある意思表示か、宣言か。
何かに対する抵抗か?何に対する?
04.11
-
アルゼンチンの作家カサーレスの『モレルの発明』を
読んだ。
くらくらする作品だ。そして見事な作品だ。
南米作家をいっしょくたにしてはいけないと反省した。
一筋縄じゃいかない。
04.10
-
南米つながりで、アルゼンチンの作家マヌエル・プイグ
の『蜘蛛女のキス』を読んだ。
これまで読んだ南米作家たちとは全く違うタイプの作家 で、この作品は、言ってみれば都会的でスタイリッシュ な作風だ。
読みながらも、そして読み終わった後にも、悲しい気分 がつきまとった。
文中にボレロの歌詞が何回も出てくる。
N.Y.でのシーラ・ジョーダンのワークショップに参加した ときに、アルゼンチンから来ていた女性がいた。
彼女がアルゼンチンの音楽といえばボレロだ、と言っ ていたのを思い出した。
みんなはラヴェルでお馴染みのボレロ、つまりリズム のことだと思っていたところ、彼女は、違う、アルゼン チンでボレロというのは、悲しみのうたのことだ、と 説明した。<
この作品もある意味ボレロなのかもしれない。
04.08
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ガルシア・マルケスの『コレラの愛の時代』を読んだ。
やはりこの人の作品には惹きつけられる。テーマが 面白い上に、力業と緻密さのバランスが非常にうま くいっている。
自伝を読んでいたので、この作品の随所に本人や 両親らの人生経験が活かされているのがわかって、 それも興味深かった。
『百年の孤独』といい『族長の秋』といい、この作品 といい、読みながら、長い長い年月をともに生きて いるような錯覚を覚えるので、読み終えたときには どっと疲れると同時に、満足感もある。
やみつきになったかもしれない。読みたい作品が あと2つある。
とりあえず、いったん休止して、他の作家のものを 読むことにしよう。
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引き続きグレアム・グリーンの『情事の終り』を読んだ。
2010年3月(9件)
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03.30
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ハンガリーのピアニスト、エルヴィン・ニレジハージの生涯と
音楽について書かれた『失われた天才』を読んだ。
たまたま目にした新聞の書評を見て、どうしても読みたくな って、\5,030もしたけれど、買った。
これがとにかく興味深い内容で、私の好奇心と感受性を 強く刺激した。
このピアニストのことは全く知らなかった。
波乱に満ちた人生、スキャンダラスな生活といったところ も読んでいて面白いのだけれど、それよりなにより、その 音楽に対する考え方が特異で、これが私を惹きつけた。
また演奏が物議をかもすようなものだったらしくて、感動 のあまり涙する人がいる一方、アシュケナージや武満徹 のように「いかれてる」というようなボロカスな批判をする 人もいるという具合。
こうなると、是が非でも聴いてみたくなる。
ところが遺されている録音が少なくて、しかもレコードは 廃盤になっているようで、かろうじて1枚ネットで見つけた ので、早速購入した。
手元に届くまで日数がかかる。待ち遠しい。
いったいどんな演奏をしていたんだろう。
早く聴きたい。
03.26
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ガルシア・マルケスの『族長の秋』を読んだ。
まあなんと、読む人間にエネルギーを要求する作品だ ろう。
こちらも相当の覚悟でとりかからないとならない。
凄いもんだな、このパワーは。
ちょっと間を置いて、『コレラの時代の愛』を読もうと 思っている。
こんなに疲れるのに、また読みたくなる。そういう魔力 を持った作家だな。
03.25
-
本日誕生日。
自分へのプレゼントに最近気になっていた本を買った。
一冊¥5,040。高い。
でも、誕生日なんだから、これくらいいいだろう。
ここまで生きてきました、という報告と感謝の気持ち を伝えに両親の墓参りに行ってきた。
また新しい1年が始まり、この1年が自分にとっての ターニングポイントになりそうな予感がする。
どこへ向かっているのか、美山夏蓉子は。
03.22
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レコ発ミニツアー無事終了。本日帰京。
20(土)山形"Noisy Duck"、21(日)仙台"ADLIB"での ライブは、みなさんにとても歓んでいただいて、気持ち のいい時間だった。
ピアノのスガダイローのエネルギー全開モードの演奏 に引っ張られて、私も弾けモードでうたってきた。
新しい出会いがあって、つながりが生まれて、少しづ つ自分の世界が広がって行くのを体感できたことが、 なによりの成果だった。
お世話になったみなさんに、心から感謝!
03.13-2-
-
昨日、今日と鈴木希野さんの独り舞台『おかあさーん!』を
観てきた。
"OBIYABIYA"が劇中曲として使われた芝居だ。
初日の昨日は、やはりちょっと緊張していたようだったけれ ど、3公演目となった今日の夜の部は力みがとれて、声のト ーンも落ち着いて聞えた。
もっとも、昨日は私の方こそ緊張していて、ゆったり芝居を 観ていられなかった。
自分の作品がどんな風に使われるのか不安と期待が入り 混じって、ドキドキしっ放しだった。
"OBIYABIYA"をそういう風に聴いてくれていたんだなあ、と 芝居を観ながら納得し、嬉しい気持ちになった。
それまでまるで見も知らなかった人と、こうして縁あって出会 えたことに感謝している。
それもこれも、CDを作ったからこそ生まれた話で、やはりア ーティストは、作品を作り続け、発表していかなければいけな いと、つくづく思った。
03.13-1-
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ガルシア・マルケスの『予告された殺人の記録』を読んだ。
フィクションとルポルタージュを合わせたような性格の小説 だ。
本人が最もお気に入りの作品らしい。なるほど、そうなんだ と納得する。
ぐいぐいと読み手を引きこんで行くその構成力がすごい。
文学作品を抵抗なく読ませるエンターテイメントの精神が あるのだ。
これはとても参考になる。
ガルシア・マルケスにハマったかな。
あと何冊か読んでみるか。
03.10
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ガルシア・マルケスの自伝『生きて、語り伝える』を読んだ。
『百年の孤独』しか読んだことがないのだけれど、その印象 が強烈だったので、自伝を読んでみたくなったのだ。
この人自身を知る上でも、また、コロンビアという国の事情を を知る上でも、興味深い内容だ。
南米の作家の作品は大して読んではいないけれど、その範 囲で言えば、みな実にエネルギッシュだ。作品から熱が伝わ ってくる。ギラギラとしている。欧米の作家とは違う。
世界は広いな。私にとっては、縁遠い国ではあるけれど、こ うして本を通して知っただけでも、何かしらつながりはできた わけだ。
それにしても、よく覚えているもんだ。もちろん、自伝を書くに あたっては、昔の資料をひっかき集め、家族や知人たちの記 憶に頼ることもあっただろうけれど、これだけ瑞々しく書ける というのは、驚くばかりだ。
私なんか、ボーっと生きてきたから、場所も時も、人の名前も ろくに覚えていない。もっとも自伝なんて書くわけもないから、 心配することもないけどね。
03.03
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今月、『ポッペンを吹く女』のレコ発ツアーで山形、仙台に
行きます。
3/20(土) 山形『Noisy Duck』
3/21(日) 仙台『ADLIB』
腰の思い私。最後にツアーに出かけたのが13年前。
今回は、3部作の完結編ということもあって、『Circle Step』 の共演者でもあり、ライブでいつも一緒のピアノのスガダイロー と行きます。
お近くの方、是非お出かけください。また、山形、仙台にお知り 合いがいらしたら、お知らせいただけたら、感謝です!
楽しい出会いがありますように!
03.01
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『ポッペンを吹く女』のライナーノーツを書いてくれた児童
文学作家の松原秀行さんが、自身のブログでCDの紹介
をしてくれています。興味のある方は覗いてみてください。
http://shop.kodansha.jp/bc/aoitori/park/23pass/index.html
-
ハンガリーのピアニスト、エルヴィン・ニレジハージの生涯と
音楽について書かれた『失われた天才』を読んだ。
2010年2月(8件)
02.02
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『ポッペンを吹く女』のCDレヴューが「ジャズライフ」
「スウィング・ジャーナル」「CDジャーナル」各誌に掲載
された。
それぞれ、よいこと書いてくれてます。
レヴューのページに掲載したので、ご覧ください。
02.18
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川端康成がノーベル賞の受賞式で行ったスピーチの
原文を読んだ。
『美しい日本の私』というタイトルだ。
1968年、今から42年前のことだ。
心の底を揺さぶられる名文で、日本の文化・歴史をよ く勉強し、把握しているからこその俯瞰からの物の見 方に感動する。
ざまあみろ、西洋人め、お前らにはこの人の言ってい ることの万分の一もわからないだろう、川端さん、あり がとう、などと喝さいを送りたくなる。
しかし、そういう自分だって、この文を読んで初めて知 ることばかりで、欧米式の教育で出来上がってしまっ たこの頭に危機感を覚える。
自分の中に流れているはずの何かを呼び覚ますには、 明治維新以前どころの話じゃなく、もっとはるかはるか 以前にまで想像力と思考力を持って行かなくてはいけ ない。
懐古主義なんて短絡的、皮相的な話ではなく、日本 だけに拘るという狭義な話でもなく、もっと広大な話。
自分の可能性の話でもある。
02.16
-
流れで、川端康成と三島由紀夫の往復書簡集を読んだ。
思うところがたくさんある。
何はさておき、こういう関係は羨ましい。
もちろん、それにはきっかけを作り、それを持続させた 特に三島由紀夫の計画性と真面目さと努力がある。
尊敬と信頼と愛嬌がある。
筆まめで、しかも、ちゃんと手紙を保存してあるってい うところは、真似したくてもできそうにない。
昔もらったラブレターなんてものも、とっくに棄ててしま たものな。
私が送った手紙は誰かのところにまだあるんだろうか。
いやいや、そんなことはどうでもいいことで、川端康成 の他の作品も読んでみるとしよう。
02.13
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川端康成の『眠れる美女』『片腕』『散りぬるを』を読んだ。
川端康成の小説は『伊豆の踊子』と『雪国』しか読んだこ とがない。たしかに素晴らしい。いかにも日本文学の香り 高く、ノーベル賞を受賞したのもそういう理由からに違い ない。
しかし、この特に『眠れる・・』と『片腕』を読んで私は驚い た。鳥肌立てながら読みふけった。
川端康成、恐るべし。
こういう作品が日本にあったんだ。これは凄いことだ。
三島由紀夫が絶賛したのも肯ける。
そして私の大好きな森茉莉が、 「『雪国』 なんかじゃなくて、こういう官能的な作品でノー ベル賞もらうべきだった。」
と言っているのも、なるほどと納得するのだ。
まあ確かに学校じゃ教えらんないような小説だけどね。
それにしても、イアン・マキューアンで腹が立った後だけ に尚更、いい作品を読んだ満足感は大きい。
そして、翻訳本ではなく、見事な日本語で書かれた日本の 作家の作品を、日本人としてこの上もなく誇りに思うのだ。
02.12
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YouTubeに『カヨコのドンパン節』というヘンテコなもの
をアップした。
どうヘンテコか、興味がある方は是非以下のURLに アクセスを!
http://www.youtube.com/watch?v=rB-R2ZMpJtk
02.10
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イアン・マキューアンの『土曜日』を読んだ。
『アムステルダム』と『贖罪』の素晴らしさが忘れられず、 大きな期待を持って読んだのだ。
しかし、読み終わった後、いや読んでいる最中から、と にかく不愉快でたまらなかった。
自分の腕、つまりその文章力や構成力に溺れたな、た だそれだけの作品だな、というのが率直な感想。
なんで知識階級の都市生活者の新鮮味のない面白味 のない頭の中を見せられなくちゃならないのだ。
腹が立ってくる。
だったら読まなきゃいいんだけれど、途中で投げるのも しゃくだから、とにかく最後まで読んだ。そして、不愉快 な気分は最後まで解消されなかった。
小説を読む楽しみっていうのがある。
想像力を掻き立てられ、何かに気づかされ、刺激を受け、 元気をもらい、ヒントをもらい、背中を押してもらう。 そのどれからも程遠い。
ま、作品を創るっていうのは、大変な仕事であるのは、 少しは知ってるつもりだけれど、過程ではなく、結果がす べてだからね。
その後の作品に期待しますかね。このままじゃ、こちら としても納得できないから。
02.03
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『ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん』を読んだ。
今年の6月ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団が来日す る。でも、そこにピナ・バウシュその人の姿はもうない。去年 突然この世を去った。
初めてヴッパタール舞踊団の舞台を観たときの衝撃は忘 れられない。2003年のことだ。
『七つの大罪』という作品だった。
ダンスに対する既成概念がぶち壊され、普遍的で根源的な 問題に直面させられ、体の中から揺さぶられた。
終わったときには涙が止まらなかった。
そして、2008年の『パレルモ、パレルモ』。
カーテンコールで団員たちの中に紛れ込むようにして舞台 に現れたピナ・バウシュの姿を見たときには、感動で胸が いっぱいになったのを覚えている。
ピナ・バウシュが世界に与えた影響力、その遺したものの大 きさはどれほどのものだろう。
ピナが知るはずもない、小さい、日本の名も無いヴォーカリ ストが受け取ったものが、彼女の中で芽吹き、遅々としなが らも、少しづつ育っていることだけは、確かだと言える。
02.01
-
アルゼンチンの作家マルコス・アギニスが1991年に書いた
大作『マラーノの武勲』を読んだ。
中世の南米におけるカトリックの異端審問によって苦難を 強いられたユダヤ人について書かれた歴史小説だ。
私にとってほとんど馴染みのない南米。その国々で、かつ てそのような事実があったことを知っただけでも、この本を 読んだ意義があった。
文明が発生してからたかだか数千年しか経験していない 人間の、正解のない歴史。
宗教に限らず、ある思い込みほどエネルギーを持つもの はない。
それが時には大勢の人間を動かすことにもなれば、時に は破滅させることにもなる。
人間は賢いのか愚かなのか?
いつそれが分かるのか?
その判断を誰が下せるのか?
-
『ポッペンを吹く女』のCDレヴューが「ジャズライフ」
「スウィング・ジャーナル」「CDジャーナル」各誌に掲載
された。
2010年1月(7件)
-
01.29
-
昨晩は新宿『ピットイン』に安田芙充夫3を聴きに行って
来た。
安田さんは滅多にライブをやらないから、これを逃すと またいつ聴けるかわからない。
同じような思いの人たちで場内は満員だった。
安田さんの音楽は日本のジャズシーンでは特殊だ。
異質と言ってもいい。
これだけの才能をヨーロッパではなく、日本で目の当た りにできるのを、幸運に思うべきだ。
また今度いつライブを聴くことができるんだか。
やる気になったらやるだろうし。やる気にならなかったら やらないだろうし。
鬼才の動きは予測不可能。
01.24
-
アメリカの作家、デニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』を
読んだ。
なんで読むことになったんだったか思い出せない。
アメリカのある部分を知りたかったら読むといいかもしれ ない。
アメリカの小説だよなあ、というのが感想。
これが自分の人生に何かしら影響を与えるということは、 ないな。
膚が合わないというのかな。この作家を知りたいと思わ ないものな。
こういうこともあるな。
01.21
-
シェイクスピアの四大悲劇を読み直した。ただし日本語で。
福田恆存の翻訳。
『リア王』が圧倒的だな。
トルストイが批判的なことを言っているけれど、どうも的外 れだ。やっぱりトルストイは面白くない作家だ。
福田恆存がシェイクスピア劇の演技論を書いていて、それ が面白い。日本語で演じる場合の限界もよくわかっている。
やはり一度観に行くべきだな。できたら本場のを。
01.16
-
"OBIYABIYA"が劇で使われることになった。
鈴木希野さんの独り舞台で、よしもとばなな原作の 『おかあさーん!』という作品だ。
鈴木さんが脚色・演出・出演する。なんだか今度の 『ポッペンを吹く女』の私のようだな。
"OBIYABIYA"を聴いてとても気に入って、自分の 芝居に使いたいと思ったのだという。
3/12,13と四ツ谷で上演される。もちろん私も観に 行く予定だ。
日程などはスケジュールのページで。
01.15
-
新しいCDのタイトルにちなんでポッペンを買った。
ポッペンとはビードロのことだ。
中くらいの大きさのものとミニサイズのものと2種類買った。
早速吹いてみた。
説明書にあるとおりに吹いてみたけれど、何べんやっても うんともすんとも言わない。あんまりやって頭がクラクラして きた。
がっくりきて、諦めた。 1日置いて、再度挑戦してみた。
「軽く吹いてください。」
説明書に書いてあったのを思い出し、そのとおりに今度は とても軽く吹いてみた。
すると突然「ポッペン、ポペン」と音がした。
一瞬ガラスが割れたのかと思ってびっくりして、あわてて ポッペンを落としそうになった。
そう、これこそまさしくポッペンの名の所以の音だったのだ。
静かだった昔の時代に、ポッペンを吹き、その音で退屈を 凌ぎ、寂しさを慰めていたのだろう。
都会のど真ん中、深夜に独り「ポッペン」の音を聴く。
01.07
-
このところ毎日ルビンシュタインのカーネギーホールでのラ
イブレコーディングのCDを聴いている。
ルビンシュタインが74歳のときのコンサートの録音だ。
素晴らしいの一言に尽きるけれど、中でも私のお気に入り はドビュッシーの『ラモーをたたえて』だ。どこか懐かしいメ ロディをルビンシュタインが美しく奏でる。
そしてもう一曲のお気に入りがシューマンの『アラベスク』。 これはルビンシュタイン自身の大好きな曲らしいのだけれど、 慈しむように、大切に大切に弾いている心持が、じんわりと 伝わってくる。
やっぱり偉大な演奏家は作品を活き活きと再現してくれて、 それを聴く人間を歓びで満たしてくれるのだなあ。
01.01
-
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い
致します。
色々と動きのある1年になりそうで、まずは2/17に4枚目とな るCD『ポッペンを吹く女』(RKCJ-2043)が発売になります。
これははっきり言って、自信作!なんたって自分で聴いて楽 しんでいる。
その他面白そうなことがあるけれど、それはまた追々ご報告 ということで。
-
昨晩は新宿『ピットイン』に安田芙充夫3を聴きに行って
来た。
-
2009年(67件)
-
2009年12月(5件)
-
12.28
-
この1カ月ほどの間にアガサ・クリスティの小説を30冊読んだ。
ほぼ1日1冊のペースだ。そのくらいのペースで読める読み物 ということも言える。
それにしても、はまってしまった。面白いから、うまいから、次 々と読みたくなる。
『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』『オリエント急行の殺人』『そ して誰もいなくなった 』といった有名な作品以外で、クリスティ ファンならきっとベストテンに挙げるという作品は、やはり納得 の内容だった。
『葬儀をおえて』『五匹の子豚』『三幕の殺人』などだ。
『杉の柩』 も好きな作品だ。
しかし、クリスティもこのくらいにしておこう。
いつまでも推理小説にかかわっていたら、「寂しい女」というレ ッテルを自分に貼ることになりかねないから。
12.22
-
久々に無性に溝口健二の『雨月物語』が観たくなってDVD
を借りてきた。
観終わって恍惚とし、茫然としている。
やはりとんでもなく凄い、とんでもなく恐ろしいくらいに凄い 映画だ。
全篇にただよう緊張感と集中力と異様なまでの妖気ただ よう空気感。
あのムードにしびれるのだ。
私のつぼにピタリとはまるのだ。記憶のどこかにあるよう な、知っていると感じる何かがある。
そして、あの二人の女優。田中絹代と京マチ子の凄み。
まるで違う個性の二人に共通するあの目とあの声の力。
あの声に潜む魔力。
やはり恐ろしい映画なのだ。
12.16
-
N.Y.に在住の友人で、男性ヴォーカリストのテオ・ブレックマン
がグラミー賞にノミネートされたという。
これは凄いことだ。もし受賞でもしたら、それこそ大変な事だ。
ドイツからアメリカに渡り、シビアーなN.Y.で長い間暮らしてい る。実験的で前衛的なジャズアルバムをたくさん作ってきた。
何度か日本にやってきて、テオのジャズヴォーカル・ワーク ショップも2度ほど行われた。
このところ立て続けにアルバムを発表して、そのうちの何枚 かは安田芙充夫さんがピアノとアレンジを担当している。
自分の周辺から、こういう名誉な話が出てくるのは、嬉しい。
がんばって生き抜いて来た人間が報われるということは、 そうざらにあるもんじゃない。
この話を聞いて、私も勇気をもらったし、刺激も受けた。
私は私なりに、できることを、できるときに、しっかりやらなく ちゃいけないな、と強く思ったのだった。
12.14
-
「80歳近くなってからのルービンシュタインが弾いたチャイ
コフスキーのピアノコンチェルトは凄いよ。絶対聴くべき。」
と友人に言われ、早速CDを買って聴いた。
有名なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だ。
なるほど、凄い!
体の中から揺さぶられる感覚だ。音楽の歓びというのは、 こういうことを言うのだなあ。
今までチャイコフスキーには関心なかったし、この名曲も 他の演奏家たちで聴いたけれど、どうもピンと来なかった。
ところがどうだ。ルービンシュタインの演奏を聴いて、この 曲に対するイメージはガラッと変わった。
同じ曲でも、演奏する人間やオーケストラによって、こうも 違うものか。改めて思い知った。
それにしても、やっぱりルービンシュタインは凄い。こうい う演奏を聴くと、生きててよかった!と思うのだ。
12.11
-
きのうは、スガダイロー主催のイベント『大虚水脈』に参加
してきた。
プロミュージシャンによる大セッション大会ってところか。
スガダイローの差配による組み合わせで、セッションが 次々に展開して、ハイテンション、抱腹絶倒の一夜と相成 った。
参加者中最年長の“女芸人”として芸を披露し、若いエネ ルギーの渦巻く中、こういうのもたまにはいいか、などと 思っていた。
-
この1カ月ほどの間にアガサ・クリスティの小説を30冊読んだ。
2009年11月(7件)
-
11.26
-
もうミステリーは読まないと言っておきながら、またまた
アガサ・クリスティのポワロシリーズを読んでしまった。
『ABC殺人事件』だ。
しかし、読んで損はなかった。お見事の一言に尽きる。
以前に読んでスゴイ!と思っていた推理小説の数々も この作品のパクリというか、模倣だったわけか。
それにしても、たいしたもんだ。うーん、と唸るしかない。 してやられた、という感じだ。
退屈しのぎに、一気に読める軽いものをお探しなら、 『アクロイド殺し』と『ABC殺人事件』は超おススメ!
11.23
-
一気に読めるおかげで、立て続けにシャーロック・ホームズ
シリーズ『恐怖の谷』と『シャーロック・ホームズの事件簿』
を読んだ。
そして、ネットで海外ミステリーのベストテンを色々調べて みると、あちらこちらでアガサ・クリスティーの『アクロイド 殺し 』を絶賛しているので、こうなったらものはついでで、 早速読んでみた。
名探偵ポワロシリーズの作品だ。
ポワロの登場するものに限らず、アガサ・クリスティの作品 は 映画やTVで観ているものの、原作を読んだことはなかっ た。
しかし、この『アクロイド殺し』は、何といっても本で読むべき 作品だ。まだ読んだことのない方のために、内容は明かさな い。これはお薦めのミステリーだ。
以前海外ミステリー小説にはまって、読み漁った時期があっ た。精神的にダウンしている頃のことだ。
もしまた、はまるようなことになると、これはあまりいい兆候 ではない。予防のためにも、ミステリーはここらでやめた方 がよさそうだ。
11.22
-
少し軽いのが読みたくなって、コナン・ドイルのお馴染み
シャーロック・ホームズものを読んだ。
ちょっと前に、薦められて『緋色の研究』を読んだところ、こ れが結構面白かったので、今回は『パスカヴィル家の犬』 を読んでみた。
これは非常に面白かった。
読みながら頭の中には、NHKTVで観ていたBBC制作の シャーロック・ホームズの映像が流れていて、おまけに吹き 替えの露口茂の声まで聞こえてくる。
それだけ、あのTV作品は印象深かったともいえる。
シャーロック・ホームズと言えば、大好きな森茉莉の愛読書 でもあった。
ほとんど本を読まない自分の本棚には8冊だけ本が置いて あって、それが夏目漱石とドイルのシャーロック・ホームズ ものだと言っている。
どこまで本当だかはわからない。自分の父親の鴎外の作品 も読んだことがないなんて言うのも、どこまで信じたらいいの やら。<
それはそれとして、もう少しシャーロック・ホームズものを読ん でみようかという気になっている。
11.15
-
知り合いに薦められて、映画『アニエスの浜辺』を観て
きた。
82歳のフランスの女性映画監督アニエス・ヴァルダの ドキュメンタリー映画だ。自画像映画である。
映画そのものも、映像といい、アイディアといい印象深 かったのだけれど、それよりもなによりも、アニエスその 人自身に深い感銘を受けた。
ほぼ同じ年齢のジャズシンガー、シーラ・ジョーダンにも 同じような感銘を受けたのだけれど、彼女たちは、いま でもとても好奇心が強く、向上心に満ち、そしてフットワ ークが軽いのだ。
知性的で、しかも茶目っけもあって、チャーミングなのだ。
おしゃれにも関心がある。
アニエスはまだまだ作品を撮り続けると言っている。実験 的な映像作りを目指しているという。
素晴らしいじゃないか。
うだうだ言っている場合じゃないのだ。そんな先達がいる のだ。
自分もあんな風になりたいもんだ。いくつになってもうたい 続け、前進し続け、若々しく、現役でい続けたいもんだ。
11.13
-
アンドレ・ブルトンの『ナジャ』を読んだ。
シュルレアリズムの作品だ。
いわゆる小説とは違う。違うものを作ろうとしたわけだ。
アヴァン・ギャルドに対してなんだかんだ言うのは簡単 だ。初めから拒否反応を示すのも簡単だ。
一番初めに何かを成すということが、どういうことなのか、 を実際に経験したことがあるか、あるいは、そういうこと を想像することができるか、想像してみようとするか。
問われるのはそこだ。
出来上がった作品そのものにとどまらず、それを作った 作者の頭の中、心の中に関心を持つ。
そこまで行かないと、人間が作り出した作品を、人間が どんと受け止めたことにはならないだろう。
11.12
-
今日、今度のCDのマスタリングが終了した。
レコーディング完了以来、久々に自分の音源を聴いた。
自分で言うのもなんだけれど、かなりヘンテコだ。
「何、これ?」「何でこうなるの?」
みたいな音楽。
来年2月17日発売なので、怖いもの見たさ(?)で、 期待して待ってていただきたい。
11.04
-
コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』のDVDを
観た。
コーエン兄弟のブラックユーモアセンスヴァージョンとでも 言うか。つまり、『ノーカントリー』とは正反対のカラー。
配役がいいよね、相変わらず。
クレイージーさ加減がよい。
わが愛しのブラピもよかった。
『ジョー・ブラックによろしく』でも『オーシャンズ11』でも そうだったけれど、ガム噛んでるか、コーラ飲んでるか、 バターピーナツ舐めてるか、何かしら口に入れてるのは、 本人のアイディアなのかな。
ブラピの舐めているスプーンになりたい。
-
もうミステリーは読まないと言っておきながら、またまた
アガサ・クリスティのポワロシリーズを読んでしまった。
2009年10月(7件)
10.27
-
というわけで、ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を読んだ。
ラディゲ20歳の時の作品にして、最後の作品だ。この後ほ どなくして、20歳という若さでこの世を去った。
やはり、驚いてしまう。20歳の青年がこんな作品を書ける ものなのか。20歳の青年が人間の心理をこんな風に分析 できるものなのか。
わが身を振り返れば、こんな歳になってもなんだかぼんや りとしているわけだ。
しかし、ひとそれぞれに与えられた寿命もあり、それぞれに 与えられた才能もあり、それぞれに成長のスピードも違うわ けで、そう考えることで、自分を奮起させることにする。
10.25
-
立て続けにフランスの作品を読んでいる。
ラディゲの『肉体の悪魔』を読んだ。
ラディゲが16~18歳のときの作品だ。
本人は「神童」と呼ばれるのを嫌っていたらしいけれど、 他にどう呼べばいいんだ?
驚くべき作品だ。これをそんな少年が書いたというのだ。 どうなってんだ? 自分の高校生のときのことを思い出し てみたらいい。
しかし、天才はやはり夭逝するのだな。
もし、こんなことには何の意味もないだろうけれど、でも もし、ラディゲがもっと長く生きていたら、いったいどんな 作家になっていただろうと、想像せずにはいられない。
これはどうしても『ドルジェ伯の舞踏会』を読まないわけ にはいかないだろう。
10.24
-
バルザックの『ゴリオ爺さん』を読んだ。
ゾラの先輩になるわけだ。パリを描いた先輩だ。人間 模様を描いた先輩だ。
やはり、先輩の方が格が上だ。断然面白い。うまい。
登場人物たちが、また別の小説の主人公となって再 登場するというスタイルを確立したということだから、 他の作品も読んでみるのも面白いかもしれない。
そういうのは、フォークナーやジョイスといった作家た ちにも影響を与えたんだろうな。
それにしても、あの時代の「パリ」というのは、題材に 事欠かない街だったのだなあ。あらゆる階級の人間 がごちゃまぜになってうごめいていた動的な街だった のだなあ。
眩暈がする。
10.22
-
エミール・ゾラの『ナナ』を読んだ。
長編ではあっても、一気に読ませる内容だ。初めから 最後までテンションを保ったまま、エネルギーが落ちる ことなく書き切った、という感じだ。
高級娼婦の生活と当時の風俗や世相を知ることができ るし、読み物として確かに面白い。
この面白さは何に似ているのかと考えてみると、そうだ、 ノンフィクション小説や歴史小説といった、取材を土台に して書かれた作品を読んだときの感じに似ているのだ。
そして、ゾラがジャーナリスト出身ということを知って、な るほどと納得した。
ジャーナリズムなのだ。物語ではないのだ。
で、何か物足りないのだ。小説を読んだときに欲しい、 あの読後感が湧いてこない。
心や体の奥底にずしりと響いて、自分の生活を揺るが すような、ただならぬ興奮や恍惚感。
つまり、「あ、これはやばい!」という感じ。これがない ものには、星3つはあげられないな。
12.17
-
スタンダールの『パルムの僧院』を読んだ。
スタンダールファンは『赤と黒』派と『パルムの僧院』 派に別れるらしい。
私は『パルム・・』 派だな。
全体的に雑然としていて、構築的ではないけれど、 そこがまた面白い。
悲劇的な面もあるけれど、私には喜劇人間模様に 思えた。あるいは、喜劇「パルム」といおうか。
作家自身が楽しくて、ノッて書いているように感じら れるし、なんでそこでそういう風に来るの?と不思議 に思えるところもあって、どうやらそれは、即興的に 頭に浮かんだことを口述筆記して書かれた作品だと いうところに秘密がありそうだ。
『赤と黒』 とは対照的で、同じ作家の作品とは思えな い。『赤と黒』 だけ読んで、スタンダールを知った気に なっていたのは大間違いと反省。
やっぱり本を読むのは楽しい。
10.09
-
母の命日なので、お墓参りに行ってきた。
いい天気で、気持ち良かった。
5年前の母が亡くなった日は台風による大雨だった のを思い出す。
今日は私ひとりでのお墓参りだった。墓の掃除は人 数があった方が楽ではあるけれど、ゆっくりじっくり とお参りするには、ひとりの方がいい。
報告することもたくさんあり、30分ばかりいただろう。
お盆と母の命日くらいしか行かないけれど、お墓参 りを済ませると、いつもほっとする。この時ばかりは、 自分もまともな人間であるような気分になる。
私も誰かの子であり、子孫であることは確かなのだ。
10.04
-
トマス・ハーディの『テス』を読んだ。
J.アーヴィングの『オーウェンのために祈りを』の中でこの 作品に触れているところがあって、読んでみる気になった。
そういえば高校生のときにクラスメートの男子がこの作品 にひどく感動して、しきりに読め読めと勧められたのを思い 出した。
話の筋自体はシンプルなのだ。ただ、描写が実にうるさい ほど綿密で、ときどきイライラする。そう感じる自分がせっ かちなのかもしれないけれど。
もっとも、やはりこれも英語で読んだわけじゃないから、厳 密 に言えば、本当のところはわからない。解説によれば、 作者の特徴らしいから、やはりくどくどとした言い回しには 違いないんだろう。
翻訳でしか読まない人間にとっては、これはもう、翻訳家 の文章をそのまま受け入れるしかない。信頼するしかない。
ダイレクトに届いていないのだから、いったいどこまで伝え られているのか、何が伝えきれていないのか、そこのとこ はわからない。
日本人にとって受け入れやすい言い回しに翻訳してある ということだろうけれど、それにしても、他の作家の作品に、 例えば、
「白河夜船」とか「三十六計逃げるに如かず」
なんて表現が出てくると、ちょっと違うんじゃないの?と 言いたくなる。
要するに、原語で読めってことなんだろうけれど、今さら 無理ってもんで、諦めて翻訳本を信じるしかない。
-
というわけで、ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を読んだ。
2009年9月(5件)
09.21
-
来年の2/17に、CDが出ることになった。
"Circle Step""OBIYABIYA"、そして今度のと、3部作の つもりで作ってきた。その区切りとなるCD。
やっぱりヘンテコCD。
100%美山夏蓉子、という内容。
詳細はまた追って。
とりあえず、ご報告まで。
09.18
-
ちくま文庫から出ている『つげ義春コレクション』を数冊
読んでいる。
ひょんなことからつげ義春に興味を持って、とりあえず 1冊買って読んだところ、これが案外はまってしまった。
ずいぶん昔にちょっとだけ読んで、生理的に合わない、 というわけで、回りが「つげ義春、つげ義春」と騒いで いたものの、シャットアウトした。
それが、どうだ。変われば変わるもんだ。
誰かがつげ義春の漫画は漫画ではなく、「私小説」の ようだ、と言っていたけれど、たしかにそう言えるかも しれない。
以前は読もうとも思わなかった私小説をこの歳になっ て読み始めて、少しは共感したこととつげ義春にはま ったことは、関係あるだろう。
『ねじ式』が一番好みかな。
それでも、つげ義春にはまってしまう自分を、どこか で、嫌だなあ、とも 思っているのだ。
09.13
-
8/26の日記にも書いたジネット・ヌヴーという女性ヴァイ
オリニスト。
私はすっかり彼女に参ってしまって、どうしても聴きたい CDがあったので、海外に注文した。それがようやく今日 届いて、恋い焦がれるような気持ちで聴いた。
涙が止まらなくなる。<
ヴァイオリンに対する概念が完全に覆される。
繊細で美しい流れるような演奏ではないのだ。チェロの 演奏でも聴いているような錯覚を覚える。
ああ彼女のヴァイオリンはうたっているのだ!
いや、そんなことより、私が物心ついてから聴いたどんな 音楽でも、そしてどんな小説や映画でも、これほど私のど 真ん中に来たものはない。
ショックなんてものは超えている。
そして、何て私は甘いんだろう、と思い知るのだ。
彼女は自分の全部、全身全霊をかけて、その曲に命を 吹き込んで演奏しているのだ。
「私は、これだけ本気で音楽と向き合って来たのよ。あ なたは、何なの?」
彼女の演奏を聴くたびに、そう言われているような気が する。
何千、何万の言葉で言われるより、胸にこたえる。
とんでもない人を知ってしまった。知るべくして知ったの に違いない。人生のこの時点で知ったことに、意味が あるに違いない。
09.10
-
ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ。
学生時代に読んで以来だ。相変わらずほとんど覚えて いなかった。
さらに相変わらず貧しい感想だけれど、大した作品だ なあ。
語ろうとする内容を、どのように伝えるかという、形式 や、その構築力が、『カラマーゾフの兄弟』同様に、見 事なのだ。
人間の根源的な問題を取り扱いながら、尚且つ読み 手をぐいぐいと引っ張っていく力の出所は、ドストエフ スキーの人生そのものだ、ということが、今回よくわ かった。
思想的な経験ばかりでなく、一人の男として、それも 結構ダメな男としての数奇な経験が、作品を面白く している原動力だということがわかって、ドストエフス キーに対する怖れみたいなものが消えて、ぐっと近 しい感じを持った。
話は逸れるけれど、ケラが監督した映画『罪とか罰 とか 』の音楽は、"Circle Step""OBIYABIYA"で ディレクションをしていただいた安田芙充夫さん。
まだご覧になっていなければ、DVDが出ているので、 是非。
09.04
-
J・アーヴィングの『オーウェンのために祈りを』を読んだ。
相変わらず翻訳で読むのだから、本当の意味で味わった ことにはならない。
それでも、これだけ笑って、泣いて、溜息の出た小説は 初めてだ。
おっちょこちょいを承知で言えば、小説に関しては、 『ドン・キホーテ』『カラマーゾフの兄弟』そしてこの『オー ウェンのために祈りを 』が私のベスト3だろう。
アーヴィングの小説をこれまで読んだことがない。『ガー プの世界 』も読んでいない。でも、これで充分だ。
この長編と付き合って、読み終えた後には、自分もまる でオーウェンのことを知っていたような錯覚に陥ってい て、この小説の世界から離れがたい気持ちになっている。 これはすごいことだ。その物語が大成功を収めたというこ とだ。
実際に、見事だと思う。
こうして、これら3作を並べてみると、ある共通点があるの に気がつく。
そこに扱われているのは、自分の国に対する警告であり、 信仰に対する態度であり、そして様々な愛の形だ。
そして、登場する人間が尋常ではないということだ。
私の傾向というわけだ。
-
来年の2/17に、CDが出ることになった。
2009年8月(6件)
08.28
-
イギリスの作家イアン・マキューアンの『アムステルダム』
を読んだ。
この次の作品『贖罪』がとてもよかったので、すぐに読みた くなった。
この2作品は趣が全く異なる。私の好みから言うと『贖罪』の 方に軍配が上がるのだけれど、どちらもいい作品には違い ない。
とにかく巧い。もちろん翻訳だから、原文の味わいはわから ないけれど、構成や、話の運び方が巧いのだ。
人間に対する皮肉に満ちた辛口な表現は、いかにもイギリ ス的。
『贖罪』が重なら、こちらは軽といったところか。抽斗しの多 い作家なのだろう。
08.26
-
ジネット・ヌヴーというヴァイオリニストのCDを聴いた。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
ひょんなことからYouTubeでこの人の画像を見つけ、
「なんてイケメン!」
で、聴いてみたら、あまりの演奏の凄さに唖然とした。
さらに、この人が女性だとわかって、またびっくりした。
これはただモンじゃないと思って、さっそくCDを買って 聴いてみたのだ。
音楽を聴いて感動することはたびたびあるけれど、こ んな風に、魂を持っていかれる演奏は滅多にあるもん じゃない。体の奥底から何かが湧き上がってくる。
1948年のライブ録音で、録音状態は悪い。けれども、 そんなことはどうでもいい。その日その時その場所で の生きた音楽が聞えてくる。もし、その場にいたら、 演奏が終わったあと、私はきっと絶叫したに違いない。
こんなことを言ってはなんだけれど、どうも女性演奏家 にはピンと来ないことがほとんどだ。何かが足りないの だ。
けれど、ジネット・ヌヴーという人は、まったく違う。この 人は性を超越している。いや、この人は音楽の申し子 だ。天才とはこういう人のことを言う。
そして天才はあまりにも早く逝ってしまう。
飛行機事故で彼女は帰らぬ人となった。30歳だった。
私にとって大切なCDが1枚加わった。勇気をもらい、 励まされ、時には喝を入れてもらう、そんな凄まじい 演奏に巡り合えたことにただただ感謝。
08.24
-
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた。
何を今さら、という感じもするけれど、実は読んでいなかった。
こんな感想もどうかとは思うけれど、ドストエフスキーはやっぱ り大したもんだ。死ぬ直前、58歳の時の作品だ。どうやら未完 の作品だったらしい。これで?と言いたくなるものの、この後も 読んでみたかったという思いはある。
ロシア、キリスト教という、私にとっては何の因縁もない国と宗教 がベースにあるとはいうものの、それを超えて、あるいは、難解 さすら無視できるほど、小説そのものの構成、ダイナミクス、ス トーリーがとにかく素晴らしい。これは確かに崇高な小説ではあ るけれど、また恋愛小説でもあり、推理小説でもあるのだ。
そして、なんといっても、ドストエフスキーの人間の本質をずばり 見抜く目が鋭い。見逃さない目と言ってもいい。追及の手を緩め ない厳しさが圧倒的だ。
こういう作品を遺せる天才は、そんなにいないよなあ。
もう一度『罪と罰』 も読み返そうかな。
08.21
-
初のソロヴォーカルパフォーマンスは、きのう無事に終了。
ピアノのスガダイロー主催のイベント『虚水脈』で、約18分 間のパフォーマンスだった。当初30分のつもりで始めたの だけれども、終わってみれば、18分足らず。普段のライブ ような時間の感覚とは違う。それでも、充分だったと思う。
"OBIYABIYA"の『…的』の伴奏なしヴァージョンアップとい ったような内容で、うた、音楽というよりは、演芸っていう ところか。
それでも、自分なりには結構楽しめたし、客席も楽しんで くれたようで、ほぼ成功か。
一度味をしめると、またやってみたくなるもんだ。改良の 余地はたくさんある。違ったヴァージョンもできるだろう。
これはひとつそういう機会を作るべきだな。
08.13
-
妹と姪っ子、甥っ子と両親の墓参りに行ってきた。
今年から社会人になった一番上の姪っ子は勤めのために 来られなかった。毎年の恒例行事もこうして、少しづつ変化 して行く。
去年の墓参りのときにとても印象に残ったことがあった。あ る墓の前に一羽のカラスがくちばしを開けて、まるで墓にむ かって話しかけているようにしてじっと佇んでいた。
そして今日もまた、同じようにしてくちばしを開けたカラスが その墓の前にじっとしていた。
妹たちもみな覚えていて、
「きっとお盆だから会いに来たんだよ。」
などと話していた。
はたして去年と同じカラスなのか、ただの偶然なのかはわか らないけれど、何かしら想像力をかきたてられた。いかにも お盆にふさわしい光景だった。
08.09
-
コーエン兄弟の『ノーカントリー』のDVDを観た。
コーエン作品を観るのは『ファーゴ』以来久々だ。
初めて観たコーエン兄弟の映画は『ブラッド・シンプル』だった。 その時のショックは大きかった。そして、とにかくはまった。
私はコアな映画ファンではない。というより、それほど映画を 観ていない。ビデオやDVDにしたって同じことだ。ただ、自分 の好みというのがある。コーエン作品は、ほとんどが私の好 みに合った。 彼らのテイストというか、センスというか、そこが私の好みに ぴたりと合う。
その映像センス。タイム感。全体を貫く乾いた空気感。
久々に観た『ノーカントリー』 は、やっぱりコーエン兄弟なら ではの作品だった。映像。静かで乾いた空気感。存分に堪 能させてもらった。
この作品でアカデミーの助演男優賞を受賞したという、スペ インのハビエル・バルデムがよかった。彼が主演したスペイ ン映画の『海を飛ぶ夢』 とは全く違う役柄で、同じ人とは思 えなかった。すごい俳優だ。
『ファーゴ』以後の作品も観てみるとしようか。そうだ、ブラピ が出たのがあったっけ。
-
イギリスの作家イアン・マキューアンの『アムステルダム』
を読んだ。
2009年7月(5件)
07.29
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『幕末太陽傳』のDVDを借りてきた。
もう何年も前に深夜TVでこの映画を観たときの印象がと
ても強くて、いつかまた観たいと思っていたのだけれど、
どうにも我慢できずに借りてきた。
やはり面白かった。1957年の日活映画だ。
川島雄三監督、フランキー堺主演。
石原裕次郎、小林旭ら、日活の若きスターたちも出演し ていて、その大根役者ぶりには笑える。それを補って余 りある、主演のフランキー堺をはじめ、他の脇役の名優 たちの演技が皆いい。南田洋子と左幸子もよかった。
話のベースは落語の『居残り佐平次』だ。そこに『品川 心中 』だの『三枚起請』だの『五人廻し』だの、その他、 落語でお馴染みの噺がところどころにちりばめられてい る。 志ん生や志ん朝で聴きこんでいる噺がベースだから、自 然と親近感も湧いてくる。更に、郭話だから、遊郭の様子 がよくわかってうれしくなる。こんな感じだったんだろうな、 と想像しながら、また落語を聴く楽しみもできる。
しかし、なんといっても、映画そのものがいいのだ。活気 がある。作品から気合いが伝わってくる。みんなきっと 映画作りに燃えていたに違いない。若いエネルギーを感 じる。毒のようなものがあるのだ。反骨精神と言ってもい いかもしれない。
幕末の長州藩士たちと、したたかに生きる町人たち。そ のエネルギーと1957年という時代と、日活映画の黄金期 のエネルギーがかけ合わさって生まれた傑作。
私もエネルギーをもらった。
07.20
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来月8/20(木)に荻窪『ベルベットサン』でスガダイローが
主催する”虚水脈Vol.5”というイベントに、ソロヴォーカルで
出演する。
ソロヴォーカルパフォーマンスは、去年初めて経験したけれ ども、6,7分の短いステージだった。今回は30分。さて、ど うなることか。
出演者はスガダイロー率いる「リアルブルー」他。
ヘンテコなイベント。私もヘンテコにやる。好奇心溢れる人、 聴きに来るべし。詳細はスケジュールに。
07.13
-
当分籠城できるくらい本を買った。
読書熱のある内にこれまで読まずにいた小説を読み漁る つもりだ。
ある1冊を読めば、自然と読むべき次の1冊が見つかる。
ちなみに伊藤整の『小説の方法』はいいガイド本ともいえ る。
07.04
-
上林暁という作家の短編集を読んだ。所謂私小説作家
だ。今まで名前も知らなかった。
三島由紀夫が対談の中で、、この作家の『野』という作 品を絶賛していたので読んでみた。
このところ大作を読んでいたので、ずいぶんと趣が違っ て面白かった。
大作が「動」的であるのに対し、この作品は「静」的と 言ったらいいだろうか。読んでいて不思議となつかしい ものを感じた。
私小説には偏見があったけれども、この人の作品には 気高さと爽やかさと美しさがあって、読んだ後に苦い思 いが残らない。
初期の作品は私小説とは違うけれども、『天草土産』は どことなく川端康成的で、とても気に入った。
日本の小説の素晴らしいところはこういうところだ、と思 わせる作品だ。
07.02
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ジェット・リーのファンだというのは前にも書いたと思う。
出演作を全部観ているわけではない。香港時代の作品 はほとんど観ていない。
いつでも観られるようにと、DVDは何作か買った。 『リーサル・ウェポン4』『キス・オブ・ザ・ドラゴン』『ダニー・ ザ・ドッグ 』といったところ。
もちろん彼の技のキレとリズムに惚れているのだけれど、 それだけではない。彼の顔にも惚れている。
で、何であの顔に惹かれるんだろうと考えたら、亡くなっ た父にどことなく面影が似ているのだ。
父の体型もジェット・リーに近かった。やはりあまり大きく なかった。そして、どちらかといえば、日本人というよりは 中国人かベトナム人といった方がぴったりと来るような顔 立ちだった。
私は父が大好きだったのだ。そう、典型的なファザコンだ った。
好きになる相手の中に、どこか父に似たところを探してい た。顔立ち、あるいは、表情、あるいは考え方。何かしら 父との類似点を見つけて、納得していた。
こんな歳になっても、いまだにファザコンのままだ。そして いまだにどこか父に似た男性を探し続けている。
今のところ見つかりそうもない。しばらくはジェット・リーの 顔を見て暮らそう。
-
『幕末太陽傳』のDVDを借りてきた。
もう何年も前に深夜TVでこの映画を観たときの印象がと
ても強くて、いつかまた観たいと思っていたのだけれど、
どうにも我慢できずに借りてきた。
2009年6月(4件)
06.25
-
サイトのプロヴァイダーがメンテナンスをしていたために、
数日間HPにアクセスできなかった。ご心配をおかけし
ました。
谷崎潤一郎を読んでいる。
『痴人の愛』『蓼喰う虫』『猫と庄造と二人のおんな』を読 み終えた。あと2,3作読んでみよう。
しかし素晴らしいな。日本語の美しさ、多彩さで、これほ ど見事に文を構築するというのは。どうしてこ ういう作家 を素通りしてきたのかと、自分の世界の狭さを思い知る。
この人は本当のところを観ている。徹底的に観ている。
これが日本人であるあなた方のありのままの姿だよ、と 見せてくる。ほら、ご覧なさいと。
怖い作家だ。
06.19
-
このところ日本の作家に固執している。
武田泰淳、三島由紀夫、岡本かの子、石川淳といった ところだけれども。
今は三島由紀夫の対談集を読んでいるところで、安部 公房との対談は面白かったな。昭和41年なのだけれど、 その数年後の自決のことを考えると、これは興味深い。
で、流れから行くと、時代は遡るけれど、どうしても谷崎 潤一郎へ行くしかない。自分の中の何が反応するのか 怖いようでもあり、楽しみでもあり。
06.15
-
武田泰淳つながりで、三島由紀夫の『豊饒の海』を読んだ。
どこか馴染めなかった三島由紀夫も、この作品をこの年齢 になって読んだことで、案外ぐっと近くに感じられた。
頭の中では様々な考えや思いが駆け巡っていて、作品の 内容そのものよりも、そういう状態の自分を楽しんでいる。
とは言え、こんな風にさせる作品というものは、滅多にある ものじゃなく、やはり、三島由紀夫は世界のミシマなのだ。
全巻を貫く光景と色彩と音の描写力はどうだろう。日本語 がこれほどに美しく、豊かだということにどうして気付かず にいたんだろう。
その点だけを取っても、この作品を読んだ意味はあったの だ。
06.06
-
武田泰淳の『富士』を読み返した。
今から20年くらい前に一度読んだのだけれど、呆れるくらいに 内容をまったく覚えていなかった。ものすごい意気込みで読ん だことは覚えている。何故読もうと思ったか、その動機も覚えて いる。虚ろな頭にはそれ以上のことは残っていなかったわけだ。
しかし読んでみてなるほど、当時の自分には時期尚早だったと 納得した。あれだけの作品に立ち向かうのは無理だったのだ。
で、今回はどうだったのだろう。確かに巨大な相手ではあった けれども、自分なりに面と向かえたのではないか。少なくとも、 目をそむけずに観察し、相手の考えを読み取る体力はついた ようだ。
それだけ少しは人生経験を積んだってことだ。
そして、人間を面白がれるようになったってことだ。
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サイトのプロヴァイダーがメンテナンスをしていたために、
数日間HPにアクセスできなかった。ご心配をおかけし
ました。
2009年5月(5件)
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05.29
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まだDVDは買っていないけれど、手元にあるCDで久々に古今
亭志ん朝の噺を聴いた。
私のお気に入りの『崇徳院』と『堀の内』だ。
笑った、笑った。涙流して笑った。
天気が悪くて、なんだか気が晴れない夜の夜中に、歯切れ のいい志ん朝の噺を聴いて、安らかな眠りに就くというのも 乙なもんだ。
やはり芸の力は大したもんだ。
05.21
-
ちくま文庫の『志ん朝の走馬灯』を読んだ。
志ん朝がなかなか独演会をやりたがらなかったことや、レコー ディングをしたがらなかったことについてあれこれと書いてあり、 そこから志ん朝の芸に対する姿勢をうかがい知ることができる。
なぜだかわからないのだけれど、 志ん朝の高座を観ていると、 勇気がわいてくる。私もがんばろう!という気になってくる。他の どんな音楽のCDを聴いても、映画を観ても、本を読んでもこうい うことにはならない。刺激を受けたり、感動したり、考えさせられ ることはあっても、勇気をもらうという経験はない。それが、志ん 朝の場合は必ずといっていいほど、そうなのだ。
志ん生だとこうはならない。ただただ狂喜して聴いてしまう。それ はまた別の話。
それにしても、やっぱり志ん朝という芸人は私には大事な存在で、 生で触れることができなくなった今、DVDを買うべきだろう。全集 は確かに高い。それでもここは自分へのプレゼントとして、大枚 をはたこうと思う。
05.11
-
ちょっと遅くなってしまったけれど、5/9(土)横浜インプロ祭は
無事に楽しく終了。
全編『OBIYABIYA』で押し通した。いや、1曲だけ、不破大輔 さんが石川啄木の詩に曲をつけた『飛行機』をうたった。いい 曲だ。
ピアノのスガダイロー以外は初顔合わせ。本番前のリハー サルだけで、どうなることかと心配ではあったけれど、なん とか、みなさんのお蔭で、最後までたどり着いた。 客席は大喜びで、楽しんでもらえた。
ようやく生『OBIYABIYA』を聴いてもらえた。
また違った形で再現できたらいいな。
05.07
-
今西錦司の『人間社会の形成』が面白かったので、引き
続き『進化とはなにか』を読んだ。
ダーウィンの進化論に徹底的に反論し、自身の進化論を 展開している。
人類の起源に始まり、最後には人類の未来にまで話は及 んでいる。
そして結局人類はやがて滅びるだろうと言う。無限の進歩、 無限の発展、無限の開発などということはあり得ない。け れど、やるだけのことをやって滅亡するなら、天寿を全う するようなもので、大往生をとげるのだから、人類は滅亡 してもいいじゃないか、と結論づけている。
逆にこれを一個の人間の話に戻してみれば、やるだけの ことをやって死ぬのなら、大往生をとげるのだからいいじ ゃないかということか。やるだけのことをやって死ねという ことか。やるだけのことをやらずして死ぬなということか。
なるほど。
では、まずは今週5/9(土)やるだけのことをやってこよう。 『OBIYABIYA』の再現。いい旅にしよう。
05.02
-
人類学者今西錦司の『人間社会の形成』を読んでいる。
それほどの意図があって読み始めたわけではない。
先日たまたま文庫本で開高健とこの人の対談を目にし て、面白い人だなあ、と思って、その中で紹介してあっ たからとりあえず読んでみようか、というわけだ。
この人はニホンザルの研究で有名だ。ニホンザルの 社会を見るところから始めて、人間社会まで行き着く ことになっているのだけれど、まだ今はチンパンジー の社会までしか読んでいない。
人間には違いないけれど、未熟な人間の身としては、 読むべくして読んでいるという気がしてならない。
-
まだDVDは買っていないけれど、手元にあるCDで久々に古今
亭志ん朝の噺を聴いた。
2009年4月(3件)
04.26
-
他人に話せるようなものではないけれど、今日は私にとってあ
る記念日だった。
何か記念になる物を自分にプレゼントしようと思った。これから 先ずっと使えて、それを見るたびに嬉しくなるような物がいい。
で、ヘアクリップに決めた。
このところ髪の毛をヘアクリップで留めている。気分がしゃきっ とするので気に入っている。
今使っているヘアクリップはそこいらへんのファンシーショップ で売っているおもちゃのような、ちゃちな物だ。
そんなんじゃなくて、どんなシチュエーションでも恥ずかしくない、 ちゃんとした物を買おうと思って、新宿伊勢丹のアクセサリー 売り場に直行した。
売り場の人とあれこれ相談しながら、第一印象でピンと来た ヘアクリップに決めた。今使っているのとは値段が2ケタ違う。 私にしてはかなりの贅沢だ。
本やCD以外で値段の張る買い物をしたのは本当に久々のこ とだった。やっぱり気が晴れる。
気が晴れたところで、また元気に参りましょ。
04.07
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一流寿司店の特上寿司の折詰をいただいた。随喜の涙を流し
ながら食した。特にうにが美味しかった。
このところまともな食事をしていない。くたびれて作る気力が ない上に、食べる気力もなくなることがある。
体力が頼りの仕事だというのに、これではいけない。
今週末4/12(日)の夜は横浜『エアジン』でピアノのスガダイ ローとのDuoライブだ。体力を強化して臨まねば。
今日の寿司で、ちょっと元気づいた。がんばろ。
04.02
-
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』のDVDを買った。
実はジェット・リーのファンなのだ。ファンだった、と言うべきか。
最近の映画は観ていないから。
久々にこの映画を観たけれど、ジェット・リーはやっぱりいい なあ。『リーサル・ウェポン4』を観て大ファンになったのだけ れど、『キス・オブ・ザ・ドラドン』のジェット・リーが一番好き だな。色っぽい。
やっぱり男は色気でしょ。
-
他人に話せるようなものではないけれど、今日は私にとってあ
る記念日だった。
2009年3月(7件)
03.25
-
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』のDVDを買った。
実はジェット・リーのファンなのだ。ファンだった、と言うべきか。 最近の映画は観ていないから。
久々にこの映画を観たけれど、ジェット・リーはやっぱりいい なあ。『リーサル・ウェポン4』を観て大ファンになったのだけ れど、『キス・オブ・ザ・ドラドン』のジェット・リーが一番好き だな。色っぽい。
やっぱり男は色気でしょ。
03.18
-
三木のり平へのインタビューを本にした『のり平のパーッと行
きましょう 』と古今亭志ん朝について弟子たちが語っている
『よって たかって古今亭志ん朝』を立て続けに読んだ。
二人とも私は大好きだ。だからかつて志ん朝がのり平の元 で役者の修業をしていたというのを知った時には、思わず頷 いた。
三木のり平の演技は、あの「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」 しか観ていないから、何か言えた筋じゃないけれども、それで もあれにはハマったし、絶対大変な役者だということはわかった。
今回本を読んでみて、のり平さんの舞台を観なかったことをと ても後悔した。もし観ていたら、本の中で語っている言葉の重さ や凄味をもっと実感できただろうに。
志ん朝さんの高座は何度か観ている。これは本当によかった と思っている。今でもそのときの姿や声を思い出す。テープも CDもそれからビデオやDVDもたくさん持っている。
ただ私は、なんたって志ん生ファン。毎晩寝る時に志ん生の 落語を聴いている。何年も前、その出囃子を自分なりにアレ ンジしてライブでうたったこともある。
今晩も志ん生の声を子守唄代わりに眠ることにする。さて、 今宵の出し物は何にしようか。
03.16
-
横浜インプロ音楽祭09<春>(5/1~5/10)に出演すること
が決まった。
私の出演日は5/9(土)で、詳細はスケジュールのページに 掲載したので、ご覧ください。
共演メンバーはマルコス・フェルナンデス(efect-percussion) 不破大輔(B)、スガダイロー(P)。
スガダイロー以外のミュージシャンとは初顔合わせとなる。 マルコスさんは、フランスの前衛ミュージシャン。不破さん はご存知「渋さ知らズ」のリーダー。
どうやらこの3人、"OBIYABIYA"を気に入ってくれたという ことでの共演になったらしい。
さてさて、いったいどんな展開になるのか、今からとても 楽しみだ。
03.13
-
"OBIYABIYA"が子供に気に入ってもらえているという話が
耳に入ってくるようになった。
何度も繰り返し聴きたがるらしい。一緒に真似してうたって いるらしい。
毎日新聞の記事で子供に受け入れられるかもしれないと 言ってもらったけれど、現実にそのようだ。
子供たちにとっちゃ、ジャズだろうが、ヘンテコな音楽だろ うが、そんなことどうでもいいわけで、"OBIYABIYA"の音楽 それ自体が気に入ったってことだ。
これはうれしい。なぜって、明日の未来を背負っていくのは 子供たちだからだ。いつの日か大人になって日本や世界で 何かを成し遂げようという彼らに、この音楽は確かになにが しかの影響を与えたのだから。
03.09
-
最近毎朝ホロヴィッツのショパンを聴いている。これで1日を
始めると非常に気分がいい。雨の日に聴いても気分がいい。
夜中に聴いても気分がいい。つまり、1日中聴いていて気分 がいいい。
気分が沈んでいるときに聴くのもいい。晴れやかな気分のと きに聴くのもいい。まったりとした気分のときに聴くのもいい。
つまり、いつ聴いてもいい。
やっぱりピアノはいいなあ。
03.05
-
昨日はいただいた招待券で、オーチャードホールでの台湾の
舞踏団『雲門舞集』(クラウド・ゲイト・ダンスシアター)による
"WHITE"の公演を観に行ってきた。
縁とか流れと云ったものは大切にしようと思っているし、何か 意味があると思っているので、こういうものには重い腰を上げ て出かける。
意味があるということは、必ずしもプラス的であるとは限らな い。 確かに異文化、異ジャンルに触れることは必要で、そこから たくさんの刺激を受けてきた。だから今回もある期待を胸に 出かけて行った。
しかし、観終わった後に残ったあの感じは何だろう。不快感 ではない。不満感でもない。強いて言うなら違和感か。
何に対して違和感を覚えたか。漠然とした答えはある。ただ 今はまだはっきりと言えない。
それでも意味はあったのだ。共感は覚えなかったけれど、そ こから起こる疑問に答えようとすることで、自分と対峙するか らだ。 それは自分自身の再確認かもしれないし、あるいは未 知の自己の発見かもしれない。
とにかく問いかけなければいけない。
「じゃあ、お前は何者なんだ?」
03.01
-
3月は私の誕生月だ。
誕生日はバルトーク、トスカニーニ、エルトン・ジョン、 アレサ・フランクリンといったそうそうたる人たちと一緒だ。
ジャズの世界では、ドラムのポール・モティアンがそうだ。
勝手に喜んでいる。<
けれども、毎年誕生日が近付くとバイオリズムが下がって、 心身ともに調子が悪い。じっと我慢して過ごしていると、誕 生日が過ぎた途端に、持ち直すというパターンを繰り返して いる。
誕生日と体調には何か因果関係があるのかとある人に 訊いたら、
「春先ってだけのことなんじゃないの?」
と軽く言われた。
なるほど。そういうことかもしれない。
3月生まれの牡羊座。ひたすら突進する資質が功を奏する か。やってみなけりゃわからない。
-
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』のDVDを買った。
2009年2月(6件)
02.20
-
きのうは『エアジン』でスガダイローとのDuoライブだった。
遊びに来てくれたドラムのガキオこと久米雅之にも加わって
もらった。
"OBIYABIYA"色濃いライブだった。だんだんそうなってるな。
『エアジン』では"OBIYABIYA"をよく流してくれているらしい。 ミュージシャンの間で評判になっているとのこと。『エアジン』 に出演しているミュージシャンには ああいうヘンテコな音楽が 好きなのが多いからなあ。
CD一曲目の”旅のはじめ”を30人くらいで大合唱ってのもい い、なんてことを言っているらしい。
たしかに、あの曲は、誰でも参加できる。みんなで大声でうた い、鳴り物を鳴らし、やりたい人が即興でうたうこともできる。
楽器なんかなくても、うたを習ったことがなくても、譜面読めな くても、誰でも音楽できるという、大変にプリミティブな曲なの だあ!
02.14
-
本日は『アケタの店』 で、小山彰太・スガダイローDuoにゲスト
参加してきた。
大学の先輩にあたる彰太さんとは初めての共演。お客さんも 多く、楽しいライブだった。途中遊びに来たSaxの臼庭潤さん も加わって、エキサイティングな演奏になった。
このところスガダイローとのDuoしかやっていないので、他の 楽器との共演は新鮮だった。たまにはいいな。
ライブを聴きに来たフリージャズピアニストの原田依幸さんが Vocalを誉めてくれた。うれしかったな。
来週2/19(木)は横浜『エアジン』でスガダイローとのDuo。聴 きに来てくれたみなさんを、妖しい旅に連れて行く。
02.11
-
2/16と2/17に飛騨のFM局の番組で、"OBIYABIYA"を
特集してくれるそうだ。自分の家からめったに外に出な
い出不精の私の音楽が、こうして会ったことがない人た
ちの耳に届くなんて、うれしい。ありがたいことだ。
Hits Daylight Cruiseの中の"Music Box"というコーナー だそうだ。12:05~12:30pm放送だということで、みなさん の昼食時に"OBIYABIYA"が流れるかと思うと、いささ か心配なものはある。
しかし、苦情は番組へ行くから、私の耳には届かないな。
私の責任じゃないし、ま、いいか。
02.10
-
昨日の毎日新聞夕刊の芸能面で"OBIYABIYA"のことが
取り上げられていた。いいこと書いてくれてます。
面白いと思ったのは、CDジャーナルのレヴューと同じよ うに「声の絵本」と評していることだ。なるほど、と感心。
Reviewページにアップしたので、覗いてみてください。
02.06
-
来週2/9(月)の毎日新聞夕刊の『記者の目』で"OBIYABIYA"が
取り上げられるらしい。どの程度の扱いで、どんなことが書かれる
のやら。
どんな記事でも、取り上げられるのはありがたいことだ。
02.04
-
ド○ールとかサン○ルクとかセルフサービスのコーヒーショップ
は、順番に並んで注文して、品物を受け取ってから席を見つけ
て座るもんだと思ってた。
「あそことあそこが空いてるな。この順番だと座れるな。」と思って いると、後から入って来た人が空いてる席に荷物を置いてそれか ら列に並んだり、2人連れのうちの1人が「私席取っておくから。」と 2人分の席に座って、気がつくと結局座れるところがなくなって、トレ イを持ってウロウロするはめになる。
店によっては、「ご注文の前にイスに荷物を置かないでください。」
と注意書きをしてあるところもある。「置き引きの被害防止のため。」
という遠回しな書き方をしているところもあった。
それでもお構いなしに席を取る人は取るのだ。他人を出し抜いても、 自分の場所を確保する。なりふりなんて構ってられないってことだ。
マナーなんか守ってたら勝ち残れないのだ。
まあ、そういうことなら、それでいいでしょう。
格好つけたがりの私にはそういう真似ができない。
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きのうは『エアジン』でスガダイローとのDuoライブだった。
遊びに来てくれたドラムのガキオこと久米雅之にも加わって
もらった。
2009年1月(7件)
01.30
-
近所で買い物をしてレジに並んでいたら、どこかのおっさん
が横から割り込んできた。
「ちょっと、並んでんだけど。」
と睨みつけたら、
「うるせえんだよ、おばさん!」
と言い返された。
これで頭に来た。何がって、割り込みのことじゃない。 『お・ば・さ・ん』ってとこだ。冗談じゃない。誰に向って言ってん だ。若い子ならいざ知らず、お前みたいなオヤジに言われてた まるか。
「おばさんじゃない!」
とどなり返してやった。
その勢いに押されてか、おっさんが小さい声で 「だって、おばさんだろ。おばさんじゃなかったら、困るだろ。」
まあ、言われてみればもっともか。
自分も社会的人間なのだということを忘れていた。
01.26
-
音楽の聴き方はひとそれぞれで、作った人間、あるいは演奏した
人間の思いと違って当たり前。CDの聴き方ひとつとってもそう。
私自身のことを考えてみたって、作曲者や演奏者が知ったらがっ かりするだろうな、というような聴き方をしている。理解の程度の 話ではなく、いつ、どんなときに聴いているか、という話だけれど。
最近では、掃除をするときのBGMは、パット・メセニーの"Question & Answer".これを聴きながらだと非常にてきぱきとはかどる。掃除 機のガーガーという音に掻き消されながらメセニーたちが演奏して いる。申し訳ない。料理をするときのBGMはシュトゥットガルト室内 管弦楽団によるバッハの管弦楽組曲。フライパンでジャジャッと音 を立てながら炒め物をしている後ろでガヴォットなんかが流れてい る。またまた申し訳ない。
夜中にくたびれたときによく聴いているのが、菊池雅章、ゲイリー・ ピーコック、ポール・モチアンのオヤジトリオの音楽。これなんか は、まだまともな聴き方だろう。
私の"OBIYABIYA"はどんなときに聴かれるんだろう。どんな風で もいいから、聴いてもらえたら、なにはともあれ、誠にありがたい。
01.24
-
ベトナム人作家パオ・ニンの『戦争の悲しみ』を読んだ。
北ベトナム人民軍兵士だった人間が描いたベトナム戦争。
自分がどれだけ欧米側からの一方的な見方に染まってきた か、痛感させられる。そしてアジアの小さい国々が欧米に 振り回されてきた歴史を思い知る。
アジアの一国でありながら、同じアジアの国を振り回し、今や どこの国だかはっきりしない日本のことを考える。この時代に この国に生きている意味を考える。自分に何ができるか考える。
自分がやるべきことを考える。
明日に延ばせないことがある。
01.20
-
今日発売の『スイングジャーナル』と『CDジャーナル』に
"OBIYABIYA"のCDレヴューが載っていた。
ジャズ雑誌に載るのはこれまでもあったけれど、『CDジャ ーナル』のような雑誌に載るのは初めてだ。おまけに「今月 の注目盤」というところに載ったというのは、かなりうれしい。
木村カエラちゃんとおんなじ扱いじゃないか。
"OBIYABIYA"はジャズアルバムじゃないからね。『CDジャ ーナル 』 の青木和富さんはいいこと書いてくれてます。
"OBIYABIYA"は明日発売!
01.18
-
アジア各国の人間がうじゃうじゃいるような場所に住んでいるのには因縁があるんじゃないだろうか、と、この頃思い始めている。
同じく、金子光晴に惹かれるのにもなんか因縁があるんじゃないか、と 思い始めている。
で、考えてみたら、これは案外血筋なのかもしれない。
父方の祖父は私が生まれるずっと前に他界していて、もちろん会ったことはないし、いったいどんな人だったのかもよく知らない。一番可愛がられたという父からも聞いた覚えがない。
ただ、昔親戚の誰やらから、亡くなった祖父は怪しい人物だったということを聞いた覚えがある。滅多に家にいなかったようだ。どうも国外をうろうろ放浪していたらしい。無名の文人画家だったというから、妙な絵でも描いて、それを売りながら旅していたんじゃないだろうか。おそらく中国大陸や、アジアのどこかをうろついていたと思われる。これは、まさしく金子光晴的で、こうなるとこの祖父の 怪しいDNAを私も引き継いでいるのを意識しないわけにはいかな い。
危ない臭いもするけれど、妙に安らいで、今の場所を懐かしく感じ る訳はこういうことなんじゃないかと、納得してしまった。
会ってみたかったな、じいさんに。
墓参りにでも行ってくるか。
01.15
-
きのう発売の『ジャズライフ』2月号に"OBIYABIYA"のCDレヴューが載っていた。
CD発売日前にヘンな事書かれたら、売れ行きに悪い影響がある、とちょっと心配しながら読んでみた。
いや、いいこと書いてくれてました。ヘンテコなCDに、これほど誠意をもって反応してもらえると、大変にうれしい。
来週にはまた別の雑誌にレヴューが載りそうだ。受けて立ちましょう。
01.12
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多国籍、無法地帯のような場所に住んでいる。
通りを歩いていて、数百メートルもの間、一言も日本語を聞かなかった、なんてことはよくある。すれ違う人たちの顔を見ても、どこの国の人かよくわからない。アジア系だということは確かなようだ。
近所の医者は台湾人だ。あやしい日本語で診察している。携帯ショップの店員は中国人だ。去年携帯を新しくする時に、ちょっと覗いたのだけれど、質問したものの、返ってきた日本語がさっぱりわからなくて、諦めて出てきた。
いつも買いに行く八百屋にも中国人の男性従業員がいる。中国の人が 買い物に来ると、中国語で対応している。普段は流暢ではないけれど、それでも問題なく日本語を使って仕事をしている。
今日も買い物をしていると、彼が客の女性と話をしていた。
「え、ミャンマーじゃなかったんだあ。」
「違うよー、タイだよ。」
「へえ、てっきりミャンマーの人だとばっかり思ってた。」
「違うよー、タイだよ。」
中国人とタイ人がたどたどしい日本語で会話をしている。なかなか面白い光景だ。
でも、N.Y.でも似たような光景はよく目にした。日本人とインドネシア人が、どちらもたどたどしい英語で会話をしていたり、ときにはお互いが日本人だとはわからなくて、妙な英語で会話を続けていたり。
インターナショナルな地域ならではの話だ。このあたりはN.Y.の一角に似ていると感じることがある。猥雑で、怪しくて、しかも活気に満ちている。
今も家の裏手で、酔っぱらった女性があやしい日本語でどなり続けている。
「ナンダヨ、バカニスルナ!」
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近所で買い物をしてレジに並んでいたら、どこかのおっさん
が横から割り込んできた。
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